奇才サトイモの元気が出る発達日記

発達障害(ADHD&ASD)の疑いがある息子サトイモの子育て日記です。

さらば急性期病院

何度か父の病院から電話がかかってきた。

その都度、父の状態が急変したのではないかとハラハラしながら電話に出る。

だが、実際はほぼ逆のことが多かった。

 

医師からの電話は、
「嚥下が難しくひどくむせます。食べると肺炎のリスクがあります。肺炎が命取りになります。リスクをとっても食べさせますか? 安全策を取るなら、鼻から栄養を入れるだけにして食べさせないこともできますがどうしますか?」
という意向に関する問い合わせ。
飲食の楽しみを奪われて長生きする意味がない、と父は思うだろうから、リスクを取っても食べさせてやってくださいとお願いする。

 

看護師からは、
「1月27日土曜日に一般病棟に移ります。個室しか空いてないので、料金がかかりますがご了承いただけますか」
という事務的な問い合わせ。
空いてないならしょうがない。
嫌だといったらどうしたのだろう?
(あとから知ったのだが、個室料金は一泊13,600円!最初に金額を言われていたら断っていたと思う。事後承諾とかひどいよ!)

 

そして、ソーシャルワーカーからは、転院に関する連絡。
救急車で運ばれた病院は急性期病院といって、救命して落ち着いたら出ていくように言われる。
そして次はリハビリができる病院へ。
そのリハビリ病院も、2ヶ月しか置いてもらえない。
その後は家に帰るか、また別の転院先や介護施設を見つけるしかない。
その流れは、母のときに経験済みだ。

 

ソーシャルワーカーから、嚥下のリハビリができる病院を3つ、提案してもらう。
私の通いやすさなどを考えて、希望順を伝えた。

 

転院日決定

しばらくしてから、第一希望の病院が受け入れてくれることになった、という連絡があった。

ちなみに、第二希望・第三希望の病院からは断られたそうだ。
結果オーライ。

 

「転院日は1月31日ですので、10時半に来ていただけますか?」
「えっ、それ、決め打ちですか?」
「受け入れ先の病院の都合ですので、変えられないんです」

もちろん、父一人で転院できるわけがなく、今の病院の退院手続き、次の病院の入院手続きは私がしなければならない。
にしても、なんで月末なんだよぅ…。

 

「どうしてもその日なんですね?」
「もしどうしても31日が無理なら、2月1日でも」
「それも月初なんで一緒です…」

忙しい時期の忙しい日に休まないといけない。
31日はサトイモの幼稚園の個別懇談の日だったのだけど、日を変えてもらうしかない。
懇談日を変更してもらっても、またその日も職場を休まないといけない。

効率化と人件費削減のために職場はいつもギリギリの人数とギリギリの時間で回っている。
もう仕事なんてやってられないな、としみじみ思う。

 

着の身着のまま

ソーシャルワーカーから、転院に際しての持ち物を教えてもらう。

  • 保険証
  • 印鑑
  • 着替えの服

何しろ、救急車で運ばれたとき、父は下着姿だったので、服を着ていなかった。
病院ではレンタルのパジャマを着させてもらっているからよかったけど、転院で移動するときには自前の服がいる。

土曜日、実家に帰り、服を取ってくることにした。
この日、中学時代からの親友と会う約束をしていたので、親友に駅から私の実家まで車で送ってもらえないか、頼むことにした。
荷物が山盛りになるから、送ってもらって本当に助かった。
親友には、母のお通夜の日にサトイモを預かってもらった。
サトイモは親友のことが大好き。
なので、この日はサトイモも連れていった。

人に頼ってばかりだけど、おかげで友人と久しぶりの楽しい時間を過ごすこともできた。

何事も、禍福はあざなえる縄のごとし。


元気が減っている

親友と別れてから、服を持って父のお見舞いへ。
子どもは面会できないので、サトイモは病棟の前で待っていてもらう。
普段は絶対触らせない私のスマホを渡し、ゲームをやらせていたら、サトイモは何分でも平気で待てる。

一般病棟の、ホテルのようなキレイな個室で、父は大相撲中継を見ていた。
9階にあるので、遠くに姫路城が見える。
眺めがいいので、写真を撮っておこうと思ったが、そういえばサトイモスマホを渡していたのだった。残念。

父との会話はちぐはぐだった。
目覚めて以降、だんだん元気を失っているように感じる。
病院で寝てばかりの日々で、どんどん頭にモヤがかかってくるのだろう。


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この日、父を救急搬送してくれた消防署宛に、お礼の手紙を書いて投函した。
サトイモにも書いてもらった。
文面もサトイモが考えたものだが、
「みんなにかんしゃです」という一文を書いたことに驚いた。

父もちゃんとそう思っているだろうか。

ママのせいだよ!!

今日も父を見舞いに行ってきた。

昨日と違い父は眠っていて、起こすと、

「ポカリ持ってきたか?」

と言う。

「飲まれへんやろ」

と答えると、またウトウトしてしまった。

その繰り返し。

 

看護師さんに聞くと、今日は車椅子に乗って少し外を散歩したそうだ。

昨日持ってきた新しい靴と靴下のサイズはちょうど合っていたらしい。よかったよかった。

ベッドから車椅子に移動するとき、その靴をはいてつかまり立ちをしたが、しっかり立てていたとのこと。

ただ、看護師が、

「今何月かわかりますか?」

と尋ねると、

「7月」

と言い、季節は「夏」だと答えたらしい。

「冬ですよ、みんなコートを着ているでしょう?」

と教えてくれたそうだが、私が同じ質問をしても、やはり7月で夏だと言っていた。

このままボケてしまうかもしれない。

テレビは見ようとしたのかたまたまなのか、『七つの大罪 黙示録の四騎士』がついていた。

 

自慢の父

私が父について評価している数少ない点の一つに、アニメをバカにせずに見る、ということがある。

7、8年前、父が80歳頃の話だが、私がテレビで録画した『ドラゴンボールZ 復活のF』を見ていたとき、画面を覗き込んだ父が、飛んでいるフリーザ軍のザコキャラだけを見て、

ドラゴンボール見とんか」

とつぶやいたことがあった。

「このシーンだけ見てなんでわかったん?!」

と私が驚くと、

「なんでって、ドラゴンボールやろ?」

と平然と言った。

ドラゴンボールを観ている30代後半の娘もたいがいだが、それがわかる80歳の親父もたいがいだ。

 

七つの大罪』は最初のシリーズだけしか見ていない。

余裕が出てきたら、続きを見てみようかと思った。

 

状況を楽しむ

わざわざ姫路まで行くのに病院の往復だけだと虚しくなるので、心配して連絡してくれる友達たちには、お茶でもしよう、と甘えている。

今日は第一弾。

ゆっくりおしゃべりして楽しかった。

父のおかげで、サトイモから離れてのんびりさせてもらっている。

 

父、というより、おかげというなら夫のおかげなのだが。

年末からこっち、休みの日はほとんど、サトイモの世話は夫にお任せしている。

サトイモは、私が言ってもきかないことでも、夫の言うことならきいてくれる。

「ママがいいよぅ〜!」

とダダをこねることもあるけれど、無理やり引き剥がして夫に預ける。

コブが取れたこぶとり爺さんみたいにスッキリした気分。

 

最近サトイモはちょっと気に入らないことがあるとすぐに、

「ママのせいだよ!!」

と怒る。

あまりに腹が立つので、

「そんなふうにママのせいにされるんやったら、もうサトイモの世話はせんわ。一人でやるか、パパにやってもらって」

とネグレクトしている。

あまり効果はないけれど、「ママのせい!」の対処法がまだ見当たらない。

 

最も「ママのせい」を感じるのは、幼児教室だ。

私が付き添いをしていたときは、大暴れして授業にならなかった。

ところが、曜日を土曜日に変えてもらって、付き添いがパパになってからは、サトイモは大人しく授業を受けているらしい。

昨日も、宿題のプリントを一気に18枚もやっつけて、授業中も良い子だったという。

 

一体何が違うんだ…。

夫は私の対処法が悪いと言う。

そーですか、と拗ねる気持ち半分、これ幸いと夫に押し付けられてシメシメという気持ち半分。

 

今日ももう終わり。

とうとう、昨日落としたイヤリングは見つからなかった。


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写真は失くなくならなかった方のイヤリングと、まねきのえきそばの看板。

父は電車に乗ると、必ず姫路駅でえきそばを食べていた。

きっと今でも食べたいだろう。

ゾンビ的傾向

これまでのまとめ。

1/11木曜日

父が倒れているのが発見され、救急搬送。一時心肺停止になるものの、救急隊員の蘇生処置と努力によって心臓が動き出す。でも、意識は戻らない可能性が高いとのこと。

 

1/12金曜日

お見舞いに行くと、父が目覚めていた。意思疎通もできる。医師も看護師もビックリ。

カテーテルが入って、尿は管から排出されているのだが、尿意があるらしく、必死でトイレを訴える。

看護師によると、最初はそういうものらしい。

だんだんカテーテルが認識できてくると、大丈夫だとわかるようになるそうだ。

尿意があるのにトイレを我慢しているかんじが続くというのも、なかなか気の毒だ。

 

1/13土曜日

意識不明なのと、意識があって起き上がるのとでは、入院生活に必要なものが変わってくる。

それで実家から、

  • 入れ歯
  • メガネ
  • 補聴器

の3点を取ってくる。

ついでに父のスマホと充電器も。

病院では父は相変わらずICUだったが、昨日までの個室ではなくオープンな場所に移動していた。

 

昨日、

「退屈?」

と尋ねると、うんうん、と頷いていた。

すると病院スタッフが、

「テレビを頼んでみましょうか? 一般病棟やったら普通にテレビがあるんですけど、ここにはないんですよ。ICUで退屈する患者さんってあんまりいないんで」

と笑いながら言っていた。

そりゃそうだ。

ほかの人はほとんどが意識不明で寝ているのだから。

 

さっそく今日からテレビを手配してくれたらしく、父は大学ラグビーの試合を見ていた。

鼻にはまだ管が入っていたが、口の酸素チューブは外れていた。

「テレビつけてもろたん。よかったねぇ」

と私が言うと、

「明治が負けとんや」

と父は言った。

心肺停止から復活した父の、私が聞いた第一声がそれだった。

もっと言うことがあるでしょうが!

とは思うけれども、まあ、うちの父はそんなもんだ。死ぬまでそういう人。

 

「メガネと補聴器持ってきたよ。でも、メガネがなくてもテレビ見えとんやね?」

「うん」

「補聴器は?つけたほうがいい?」

と私が父の耳に補聴器をつける。

「うん」

と父。

電源が入っているのかどうかよくわからず、

「使い方あってる?着けたらよう聞こえるようになった?」

と尋ねると、ぼーっとした顔で、

「うん」

と言う。

でも、耳にまで這わせてある酸素チューブの管が邪魔になって、補聴器がしっかりと装着できない。

「補聴器あったほうがいい?ないほうがいい?どっち?」

と尋ねると、

「うん」

とアホのように返事をする。

「なんや、どっちなんよ?」

「うん」

「ボケとん?」

「うん」

そのやり取りを聞いていた看護師さんが、

「まだボンヤリされてるんだと思いますよ」

とフォローしてくれる。

ついつい、目覚めたら以前と同じように考えてしまったが、まだまだICUの病人なのだ。

 

1/14日曜日

家族3人でお見舞いに行く。

お見舞いだけに姫路に行くのはもったいないので、姫路城に遊びに行った。

天守閣にまで登ったのは何年ぶりだろうか。


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サトイモは迷路のようなお城内部に興奮して走り回り、急勾配の階段に、

「これは子どもに優しくない階段だよ〜!」

と叫んでいた。

三の丸広場やお堀周辺にボランティア鎧武者がちらほらいて、観光客と記念写真を撮っている。

ぜひ撮ってもらえばいいのに、サトイモは鎧武者を怖がって逃げていた。

小学生の子ども武者がいて、唯一その子は怖がることなく写真を撮ってもらった。

その子は薙刀の振り方についても武者スタイルについても、自分の考えでやっているという。

子どもながらたいしたもんだ。

 

父に会いに行くと、なんと車椅子に乗っていた。

看護師に押してもらって待合まで出て来れたので、サトイモとも会うことができた。

父は、お腹が空いたので何か食べたい、風呂に入りたい、と要求を述べていた。

あれこれしたいと要求があるのは悪いことではない。

 

1/19金曜日

病院から電話があってドキドキしながら出たが、食事についての報告だけです、というのでホッとした。

嚥下が難しく、流動食のようなものでもむせてしまうという。

「一旦心臓が止まってたんで、いろいろ機能が弱ってるんです」

心臓って、やっぱり一番大事なんだなぁ…。

「ご自宅に帰られるのはちょっと難しいと思うので、ソーシャルワーカーから今後の転院について、またご相談させてもらいます」

母のときもそんなかんじだったので、そうだろうなと思う程度。

胃瘻をするかどうか、意向を聞かれるのかと思った。

いずれ尋ねられるだろうけど。

 

1/20土曜日

前回、看護師から、

  • 靴下
  • マスク

を持ってきてほしい、と言われていたので、購入して持って行く。

1/16に、ICUからHCUという病棟に移っていた。

今日は熱が出ているらしく、車椅子には乗れずに寝ていた。

ポカリスエットを持ってきてくれ。のどが渇いたから、冷たい飲み物が飲みたいんや」

「でもなお父さん。うまく飲み込むことができへんらしいやん。間違ったら肺炎になるんやで」

「医者もそういうんやけどな、どうもない、大丈夫や」

「大丈夫なことないやろ」

そのやり取りを何回か繰り返した。

とにかく、飲みたいのに飲ませてもらえず、食べたいのに弁当も出ない、と文句を言う。

食べたいのに食べさせてもらえないから、テレビでクッキング番組ばかり見ているのだと言った。

 

腕は点滴や注射のあとだらけで、点滴は痛いのだそうだ。

若い頃は、

「点滴や注射の何が痛いんや。元気になるからなんぼでもしてくれ」

と言っていた父が、老人になって痛がるなんて皮肉なものだ。

 

紙コップに、とろみをつけた水が入っており、スプーンが差してあった。

「これで水を飲ましてもろとん?」

と聞くと、父がそうやと言うので、スプーンを父の口に運ぶと美味しそうに食べる。

「ほんまにええんかな?」

「かまへん」

数口食べたところで、父が苦しそうにむせる。

ナースコールをするべきかどうか迷うレベル。

「ほらやっぱりあかんやん!」

「いや、どないもない」

「さっき!!死にかけてたやん!!」

「大丈夫や」

私もアホなので、懲りずにまた水を与え、数口くらいでまたむせた。

3回繰り返す。

そりゃあ病院側は怖くて食べさせられないだろう。

「次来るときはポカリスエット買うて持ってきてくれ」

心肺停止のせいか、以前からこうだったのか。

 

病院からの帰り道、昨年末にボーナスで買ったばかりのイヤリングを落とし、茫然自失。

往復して探したけれど見つからず。

でも、明日、もう一度探したら出てくる気がする。

望みは捨てない。

名探偵登場!

一昨日父が救急搬送された日、病院を出てからサトイモと実家へ行った。

「物が散乱してるのでビックリされるかもしれません」

とヘルパーさんが言うので、片付けないとと思ったのだ。

あと、新聞やコープの宅配を止めるなど、生活上のあれこれもある。

 

まず、玄関の鍵が開いていたのと、電気がついていたのでビックリした。

「もしかして泥棒がいたらどうしよう?!」

と私が玄関先でビビっていると、

「じゃあボクが見てくる〜!」

サトイモはズカズカと入っていく。

「待って待って!怖いって!」

「ママがいるから大丈夫!」

「そのママがビビってんのに、何が大丈夫だよ!!」

 

結果何事もなかったし、ヘルパーさんがいうほどひどい状態ではなかった。

冷蔵庫前にペットボトルなどの物が落ちていた程度。

ただ、階段の下、洗面所からキッチンの冷蔵庫前にかけて、床や壁が血だらけになっていた。

 

「ちょっと待って!ここに血がついていて、ポカリスエットがここに落ちているってことは…、わかった!じいじはここで犯人に殴られたんだ!」

サトイモがあちこち指を指しながら、真剣な顔で演説を始めた。

おいおい…。

最近『名探偵コナン』を初めて見たのでその影響なのか、ときどき見ている『おしりたんてい』の影響なのか。

「犯人なんていないんだよ〜。じいじが自分で倒れたのよ〜」

と言いながら、サトイモと一緒に、血の汚れを掃除した。

マイペットを吹きかけてこすると、血は意外と簡単に落ちたが、3枚くらいタオルを使った。

どうせ父が使っていたタオルは全部捨てることになるのだから、雑巾として大盤振る舞いする。

 

When、Where、Why、How

とはいえ、父がいつ、どこで、なぜ倒れたのかは謎だ。

最も血で汚れているのは、洗面所を出たあたり、階段の下からキッチンへ通じる廊下だ。

下着姿で倒れていたから、お風呂から上がったあとでキッチンへ向かう途中でひっくり返ったのかも。

だとしたら、夜に倒れたことになる。

そして、ヒートショックによる脳血管の疾患の可能性が出てくる。

「わかった!じいじはお風呂から上がって倒れたんだよ。だって身体が濡れてると、すべりやすいでしょ!そうに違いないよ!!」

またもや名探偵が推理する。

 

でも、階段の下に流血が多いから、朝起きてくる途中、階段から落ちたのかもしれない。

それなら、朝に倒れた可能性もある。

そして、原因は疾患ではなく単なる転倒だ。

 

発見してくれたヘルパーさんの話では、父はキッキンの食器棚の横で倒れていたらしい。

転倒したあと、父は自力では立ち上がれない。

それでもなんとか自力で這ってキッキンまで移動してきたのか。

でもなぜキッキンに?

本人に聞くことができないから、これは永遠の謎になってしまった。

 

謎が解き明かされる?!

奇跡的に意識を取り戻した父。

ということは、脳に障害が起きていない、つまり脳梗塞などが原因で倒れたのではないとわかる。

 

心肺停止になると、脳に血液がいかなくなり、意識障害が起きるらしい。

ところが、低体温症で身体が冷たくなっていたことが幸いして、脳がダメージを受けなかったのかもしれない、というようなことを、雑談で医者が言った。

 

呼びかけると本人はしゃべりたそうにしていたが、酸素がまだ足りないので口に酸素チューブが入っており、話すことはできない。

それでも、問いかけには答えてくれた。

「お風呂に入ったん?」

うん、とうなづく。

「上がってきてからコケたん?」

うん。

「階段から落ちたん?」

ううん、と横に振る。

「夜にコケたん?」

うん。

「ひっくり返ってから起き上がれんかったん?」

うん。

サトイモの手紙に返事書いたん?」

うん。

「投函した?」

ううん。

「探したけど見つからんかったわ。どこに置いたん?」

モゴモゴ。

「ごめんごめん、また管が抜けてから聞くわ」

 

サトイモの手紙

サトイモの手紙というのが、これ。


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先週、サトイモが突然手紙を書き出したので、郵便で送った。

救急搬送された前日の昼間、父からメールが届いた。


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お正月にサトイモが、

「じいじも一緒に初詣に行こうよ~、シニアカーに乗って行こうよ〜」

と誘ったけれど、父は、

「いいや、いかへん」

と断った。

父なりに、それを気にしていたようだ。

 

そして、返事を書いた場合らしいけれど、それが見つからない。

今度、名探偵サトイモに捜査をお願いしないと。

もし父が死んでいたら、これが最後のメール、最後の手紙になるところだった。

 

最愛の孫から手紙が来て、愉しい気持ちで死んでいったのなら、それもよかったのかなとも思うけれど、まあ、生きちゃったからね。

生き返った!!

昨日病院へ向かう途中、病院から電話がかかってきた。父の氏名と生年月日の確認だった。

「心肺停止と聞いているのですが」

と聞くと、

「それについては、ご到着後、医師からご説明します」

と電話口のスタッフが遠慮がちに言った。

その口ぶりからてっきり、もう父は死んだんだ、と思った。

お通夜になってもいいように、お泊まりセットを用意して家を出た。

 

ところが。

駅に到着前、救急外来で待ってくれているヘルパーさんから、

「搬送中は心肺停止していましたが、今は心肺が戻っているそうです。意識はないそうですが、命はとりとめています。」

とメールをもらった。

えっ!?まだ生きてる?!

そこからは急いで病院に駆けつけた。

 

こちらは大慌てでも、病院の受付は日常茶飯事である。

まあまあ待たされてから救急外来の待合に案内された。

待っていてくれたヘルパーさんから聞いた状況はこんなかんじ。

 

ヘルパーさんが訪問すると、父は血だらけでキッチンの床に仰向けに倒れていたという。

シャツとパンツだけの下着姿。

身体が冷たくなっていて、てっきりもう死んでいると思ったけれど、息はしていて、呼びかけるとうっすら反応があったらしい。

慌てて救急車とヘルパーステーションに連絡。

救急車が到着するまでに体温を測るとなんと27度!

血圧は76/30だったそうだ。

体温が少しでも戻るように、布団などをかぶせて温める。

救急隊員が到着し、救急車に乗ってから、父の心肺が停止した。

ヘルパーさんは一緒に救急車に乗って来てくれたという。

 

さぞかしびっくりされたことだろうと思う。

まったく申し訳ない。

 

その後間もなく、医師から呼ばれ、父の状態について説明があった。

穏やかな60歳前くらいの男性で、丁寧にゆっくりと説明してくれた。

 

一命はとりとめたが、意識はないこと。今後も意識が戻る可能性は低いこと。

転倒後起き上がれなかったことで低体温症になっていたこと。

転倒の原因が脚の悪さによるものなのか、脳梗塞や脳溢血によるものなのかは、今の段階ではわからないこと。

右脚の付け根からカテーテルを入れて管を通し、血液を温めて循環させる処置をしたので、体温が戻ってきたこと。

その処置で合併症が起きているので、脚の付け根を切開する手術が必要なこと。

今は人工呼吸器につないでいるが、自発的な呼吸ができるかどうか、できてもそれが続くかどうかはわからないこと。

そうなると、もって2、3日くらいだということ。

 

「本来、ご家族様の了承を取らなければならないところですが、緊急のことでしたので、延命処置をさせてもらいました。ご了承いただけますでしょうか」

えらく低い姿勢に出る。

命を助けてくれたのに、なぜ先生は謝るのか。

確かに、延命処置で無理やり生かさせるのは問題だと思う。

けれども、救急搬送で命を助けてもらって、それで医者に文句言うなんて奴はいるんだろうか。

内科、耳鼻科、皮膚科、神経内科、いろんな医者がいて、エラソーな人がいっぱいいるのに、救急救命の先生が一番丁寧で腰が低いかんじって、すごく皮肉だ。

「てっきり死んだと思っていたのに、時間の猶予をいただいてありがとうございます。本人はどうかわかりませんが、家族にとっては、父が生きているうちに会えてよかったです」

 

父は普段から、

「俺が倒れとっても何もせんでええぞ。ほっとって死なしてくれ」

と言っていた。

でも、こうやって医療従事者の皆さんが助けてくれたおかげで、私達が父が生きているうちに死に目に会えたのだ。

感謝感謝。

 

「これから切開手術をしますが、日頃飲んでおられる薬に血液を固まりにくくする薬がありますので、出血がひどければ輸血が必要な場合がありますが、輸血をしてもかまいませんか?」

どうせ父が死ぬのなら、貴重な輸血用の血液を使わなくてもいいですよ、という気持ちもあったが、先生が「輸血をしてもいいか」と許可を取るのは、宗教的問題だと推察したので、

「かまいませんし、治療は先生方におまかせします」

と答えておいた。

 

そののち、手術室のような場所で少しだけ父と面会できた。

目が開いているので、起きているのか寝ているのかわからないかんじ。

ひとまず姿は確認できた。

 

サトイモの最後のあいさつ

その後、長時間待ったあと、手術が終わって父と面会することができた。

入院の手続きをさせられたし、病室に案内すると言われたから、入院病棟なのかと思ったら、まだICUの一角にいた。

「これから病室に入院するんですか?」

「いえ、これが入院ですよ」

 

父は完全に眠っている。

いろんなところに管がつながれている。

サトイモはつながれているいろんな機械を興味深そうに見ている。

 

入院の面会規則では、中学生以下は入れないことになっている。

この日は特別、集中治療室にいる間だけ、サトイモも面会を許された。

「明日以降、子どもは入れないんだって」

「え、どうして?」

「子どもはバイキン持ってるから」

「なんで!!」

「そういう規則らしいのよ。だから、今日、じいじにさよならの挨拶しておきな」

「じいじ〜、さようなら〜」

「もっと大きな声じゃないと聞こえないよ」

「じいじ!!さようなら!!!」

 

そして、昨日は家に帰った。f:id:naminonamimatsu:20240112185621j:image

 

入院2日目

緩和されたとはいえ、病院はまだコロナ対応の制限をかけている。

面会は15時〜17時の間の15分程度。

 

昨日サインが必要な同意書を準備してもらえなかったので、今日面会も兼ねて病院へ行った。

病室に入って驚いた。

 

「お父さん起きてる!!!!」

 

目が開いていて、明らかに意識が戻っていることがわかった。

口に酸素チューブを入れられているので、しゃべることはできないが、質問に首を振る形で意思疎通ができた。

頭はしっかりしている。

 

死んだものと思っていたのに、まさか心肺が動いて、まさか意識まで戻るとは!!

「お父さん!命拾いしたね!」

と声をかけると、うんうん、と父はうなづいた。

「強いなぁ!がんばったなぁ!」

うんうん。

今までで今日が一番、父に感心した。

もうそろそろ死ぬと言う老人に限って長生きすると思っていた

1月2日

昨年夏頃の父はひどく覇気がなかったが、秋以降だんだん活気のようなものが出てきた。

ケアマネさんとヘルパーさんが気の利く方々で、父が朝の薬を飲めていないことを主治医に伝えてくださり、昼食後以降に飲めるよう処方を変えてもらったのが大きいかもしれない。

ちゃんと飲め!と命令するばかりの私とは大違い。

 

そんな皆さんのサポートもあって、父はお正月も元気だった。

ただ、なんか臭い。

「お父さん、すごく臭いけど、おしっこ漏れてない?」

ときくと、

「大丈夫や」

と答える。

いやいや、絶対大丈夫ではない。

「ほんまに?」

「ほんまに大丈夫や。オムツしとうもん」

「オムツに出てるやろ?交換してもらわんと、周りが臭くてかなわんわ」

「ほんまに?臭うか?」

「だから臭いって言うてるやん!!!!」

ようやく交換にこぎつけた。

やれやれ。

 

使用済みのオムツは防臭ゴミ袋に入れてね、と頼んでも、「大丈夫や」で済まそうとしたので、

「大丈夫かどうかはお父さんが決めることではありません。臭くて困っているのは私達ですから、お願いなので防臭袋を使ってください」

とキツめに注意する。

渋々応じる父。

普段からもヘルパーさんが臭い思いをするのは気の毒すぎるから、ちゃんと袋を使うように、と何度も説得する。

 

1月11日

というような、2日の日記を書きかけた。

現在、1月11日午前11時半。

新快速電車に乗っている。

 

出勤してまもなく、ヘルパーさんから電話があった。

訪問すると、父がキッチンで倒れていたので救急車を呼んだとのこと。

意識不明らしい。

会社を早退。

ひとまず自宅に向かっている途中、再び電話。

搬送先が決まったのと、心停止しているとのこと。

サトイモをお姑さんに預ける段取りをしようと考えていたが、やっぱりお迎えに行って一緒に連れていくことにした。

 

「走っていこうよ!じいじがかわいそうだよ!救急車で病院に行ったんだから、助かるかもしれないよ」

サトイモが言うが、心停止と聞いて、もう急ぐ必要はないよなと思う。

ただ、ヘルパーさんが病院の救急外来で待ってくれているらしいので、早くいかなければ。

 

年末、父が私に話があると言って呼び出した。

「俺ももうそろそろお迎えが来ると思うから、そのときは家のことは好きにしてええ」

「はぁ?! 話って、たったそれだけ?!」

まさか、それが本当になるなんてね。

元旦の出来事

あけましておめでとうございます。…というものの、はや10日だって?!

早すぎてびっくりする。

我が家は例年、大晦日から元旦にかけてお姑さんのところにお泊まり、翌1日午後から2日にかけて私の実家、というスケジュールで過ごす。

サトイモはクリスマスを過ぎてから、

「早くお正月にならないかなぁ!」

とお正月を待ちわびていた。

理由は「お年玉がもらえるから!」

さすが金の亡者!

 

令和のカツオとタラちゃん

今年、新しい試みだったのは、大晦日の夜にお姑さん宅にお泊りをするメンバーが一人増えたこと。

夫の娘さんの子ども(つまり夫の孫)のゲンちゃん4歳だ。

たった1歳半違いだが、サトイモの甥にあたる。

 

これまでは、ゲンちゃんにオモチャを取られたり壊されたりしたので、サトイモはゲンちゃんとあまり遊びたがらなかった。

サトイモに「一番怖い人って誰?」ときいたときに「ゲンちゃん」と答えたことがあるくらいだ。

親でも先生でもなく、年下の幼児が怖いってどんなだよ。

 

それが、ゲンちゃんも今年から幼稚園に行くようになり、社会性も少し出てきたし、話も通じるようになった。

一緒に遊べるようになり、二人の成長を感じる。

「ゲンちゃんも一緒にお泊りしようよ!」

サトイモから熱心に誘った。

「いいよ~!ゲンちゃんもサトイモくんとおとまりしゅる~!」

夫の娘さん家族はお姑さんの家のすぐ近くに居を構えていて、毎日のようにお姑さん宅に遊びに来ており、これまでもお泊りをしたことが2、3度あるらしい。

ゲンちゃんの下にフユタンという1歳半の弟もいるので、ゲンちゃんパパママはこれ幸いとお泊りを快諾。

男の子二人のにぎやかな夜になった。

 

お風呂は夫が二人まとめて入れてくれたけれど、寝かしつけは私の担当。

当然、二人とも一向に寝やしない。

お泊りにワクワクしているし、一つの布団の二人並んで入ってるからなおさらだ。

片方が静かになったと思ったら、片方が奇声を上げる。

片方が寝ようとしたら、片方が突っついたり蹴ったりする。

静かになったと思ったら、どちらともなくクスクス笑いだす。

何をやっても楽しくてしょうがない。

 

そうしているうちにゲンちゃんが、足がかゆくて眠れない、というので、お姑さんに塗り薬を出してもらった。

「なんでこんな時間まで起きとんや!はよ寝んかったら叩くぞ!」

お姑さんがゲンちゃんに薬を塗ってあげながら怒っていて、私は「叩いたら逆に寝られなくなるだろうになぁ」と内心、苦笑いしてしまった。

とはいえ、寝ないサトイモを日々怒鳴りつけている私。

ほぼ毎日世話をしている曾孫なのでお姑さんはゲンちゃんに厳しく、たまにしか会わないサトイモには甘い。

ゲンちゃんを預かってみて気づいたのは、自分の子どもなら𠮟りとばすところを、他人の子なら許しているか、優しく注意している自分がいたということだ。

サトイモは5歳だけどゲンちゃんは4歳だから、と年齢的な手加減もあるけれど、果たしてサトイモが4歳のときに声を荒げなかったかといえば、そうじゃなかったと思う。

どうして自分の子どもだと、あんなにイライラして怒ってしまうんだろう。

 

ゲンちゃんが寝付いたあと、真夜中過ぎにサトイモがグズグズ泣き出した。

頭をさわると熱い。

体温計が見つからず熱が測れないけれど、めちゃくちゃ熱いから高熱を出しているのは明らか。

解熱剤がないので、とにかく保冷剤で冷やす。

しばらくすると落ち着いて眠ってくれた。

朝になってお姑さんに体温計を出してもらい、測ると微熱になっていた。

夜中の高熱はなんだったのかというくらいすっかり元気になって、外で遊びたいと訴えたけれど、許可できるはずもなく、朝食を終えたくらいにゲンちゃんの両親が迎えにやってきた。

 

サトイモはそのタイミングでお年玉がもらえたので、お金を数えるのに夢中。

ゲンちゃんの去り際も「もっと一緒にいたい」とは言わず、

「またあそぼうね!バイバイ!」

とあっさりしたものだった。

友人より金のタイプね。

 

まさかの水漏れ

お姑さん宅から直接実家へ行ってもよかったのだけれど、着替え等の荷物をまとめに一旦帰宅。

何より、サトイモの解熱剤など薬を備えておかないといけない。

 

マンションにつくと、エントランスの天井から水が漏れていて、バケツが置かれていた。

「もしかして、原因はうち!?」

慌てて自宅へ行くと、玄関に貼り紙が。


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マジか!!

水回りを確認したけれど、使用が悪かったわけではなく、見えない部分の管の老朽化が原因らしい。

元旦から縁起の悪い。

どうしようもないので、元栓を閉め、実家へ向かう。

 

実家でおせちと初詣

サトイモの熱は下がり、行きの車の中で爆睡。

車中のラジオでは能登半島地震のニュース。

実家に到着後、テレビをつけても地震のニュース。

元旦からえらいことになっている。

 

実家には、いつも私がおせち料理を注文している。

特に今年は、サトイモおせち料理とは何かを教えたくて、ぜひ食べてほしいと思って注文した。

しかし、サトイモは車中で眠ったまま、到着後いつまで経っても起きない。

仕方なく、先に大人だけで食べ始める。

途中で起きたけれど、おせちはだいぶ減っているし、寝起きで食べられないしで、私が期待していた反応を得られず。

高いおせちを買ったのによぉ…。


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食後、父からお年玉をもらう。

父には私から事前に、

「お姑さんやおばさんからお年玉を各五千円もらっています。その相場感でお願いします!」

とメールしておいた。

サトイモが寝ていた間に、こっそりと、

「いくら用意した?」

と尋ねると、父は、

「お札は用意してへん。小銭だけや」

と言った。

「えっ!?サトイモはお年玉をすごく楽しみにしてるのよ?お年玉だけが唯一、紙のお金がもらえるから、って。お金の価値も数え方もわかるようになったから、お年玉でいくら貯まるだろうって楽しみにしてるのに、お札はやらないの??」

「やらへん。お札をやっても、貯金されるだけで使わせてもらえへんのやろ?使えるように小銭でやる」

「そんなの、めっちゃガッカリするよ。じいじも五千円くれるかなぁ、って言ってたよ。それでもあげる気ないの?」

「ない」

 

父からのお年玉は小銭しか入っていなかったので、やはりサトイモはガッカリした。

「紙のお金はくれないの?」

「お札はお母さんに取られるだけやろ?」

と父が言う。

「取らへんわ!人聞きの悪い言い方せんといて!」

私が怒る。

「銀行に預けるけど、それはボクのお金なんだよ」

サトイモのほうがよほど分別がある。

「それでもお札をあげるつもりはないの?」

と私が念押ししても、

「ない」

と父は最後まで自分を曲げなかった。

 

サトイモはそこで文句を言うかと思ったけれど、たくさんの小銭の寄せ集めが一体いくらあるのか数えるのに夢中だった。

小銭は小銭でうれしいらしい。

五百円玉があるだけでサトイモには大金だ。

 

そんなこんなで、2024年は幕が明けた。

発熱、水漏れ。

おまけに能登では地震が起きた。

あまり明るくないスタート。