奇才サトイモの元気が出る発達日記

発達障害(ADHD&ASD)の疑いがある息子サトイモの子育て日記です。

サポートルームの振り返り

サポートルーム登校について、サトイモは放課後等デイサービスの先生に、

「学校楽しいよ!家にいるより楽しい!」

と言ったそうだ。

それを聞けただけでも本当によかった。

学校に行きたくなった一番のモチベーションは友達に会いたいからだけれど、先生(担任ではなく「みんなの先生」と呼ばれる副担任的な先生)が一時間付きっきりで、ゆっくりと漢字練習に付き合ってくれていることが大きい。

そう考えると、通常学級よりも特別支援学級に入れたほうがよかったのかなぁ、と考えてしまう。

来年の特別支援学級の進級についてはもう締め切られてしまったから、入るとしたら3年生から。

あ~あ、また後手に回った気がする。

 

不登校の始まり

二学期から不登校だったサトイモだが、8/30の登校日と9/2の始業式、この2日だけは、行き渋りながらも一応登校していている。

その2日は、教室から脱走したり、持参したオモチャを出したりして、授業を拒絶する様子だったので、手が空いている先生がサトイモをサポートルームに連れて行って対応してくれたらしい。

その時初めて、サポートルームの存在を知った。

 

9月3日のこと

教室に入れなかったり皆と顔を合わせたくなかったりする不登校の児童のための部屋を、最近の学校が用意していることはニュースなどで知っていた。

だから、学校に行けないからサポートルーム登校したい、と申し出ればすぐにでも利用させてもらえるものかなと思っていたが、違った。

9月3日の朝、サトイモが学校に行き渋る中、

「サポートルームなら行ってもいい」

とポロリと口にした。

それで、学校に電話してサポートルーム登校をさせてほしいと頼んだ。

すると、教頭先生から、

「学期始めでサポートルームの支援員がまだ勤務していないので、今日は利用できないんです」

ということを言われ、

「サポートルームの利用は、事前に保護者の方に利用に関する説明をして、同意書をもらってからなんです」

という説明があった。

教頭先生は物腰はやわらかいが、寄り添い感がないというか、「手がかかる子が来るのは面倒くさいなぁ」的な本音が感じられた。

「そういうことなら、今日は休ませてください」

それが9月3日で、それが本格的不登校第一日目である。

結局、「今日休む」どころか、それからずっと休みだ。

 

同意書の取り付け

その後、9月なかばごろに教頭と担任と私の3者で話し合いの場が設けられた。

サポートルーム利用についての説明と同意書の取り付けがメインである。

同意書はこんな内容。

内容を確認してビックリした。

登校時と下校時には自分の学級で担任と話をし、サポートルームでは課題に取り組む?

「あの…、これ…、こんなことができるんだったら、普通に学校行けるんじゃないですか?」

思わずそう言ってしまった。

「いえいえ、これはあくまで原則ですので」

と教頭は取り繕うように言った。

原則だから例外も可能だとしても、原則が全然現実に即していない。何じゃコレ感が半端なかった。

でもって、「このルールに同意しなかったら利用させないぞ」という同意書の存在自体もよくわからない。

例外が可能なルールなんだったら同意書なんて必要ないのでは?

よくわからないが、ここでゴネてもしょうがないし、利用したいからひとまずサインして提出した。

 

事なかれの落とし穴

兵庫県立の不登校児支援施設の「やまびこの郷」に行ったとき、サポートルーム利用についてこのような同意書とルール説明があったことを話すと、めちゃくちゃビックリされた。

「ちょっとそれどこの学校ですか!?学校に行くだけでもいいじゃないですか!!サポートルームで勉強しなくたっていいんですよ!!」

と私に代わって怒ってくれた。

私も基本、「家を出る習慣、登校習慣をつけるための場所」だと思っていたので、とにかく課題をやらなくちゃダメ、という小学校の方針には違和感を感じざるをえない。

そのとき教頭がにこやかに言った、

「今はいろんな学びの形がありますしね~。学校だけが学びの場でもないですし」

という発言が忘れられない。

やっぱりこの人はうちの子に来てほしくはないんだなぁ、と確信した。

これについてママ友に話したら、

「学校側がそれ言うたらアカンくないですか?ウソでも『我々はサトイモくんにぜひ学校に来てもらいたいんですよ』って言わなあかんでしょ。うちの教頭ヤバない?」

と私の代わりに怒ってくれた。

このように、振り返って考えてみると、私自身、本来もっと粘り強く学校と交渉しないといけないところ、つい事なかれ主義で流されてしまっていることに気づかされる。

学校には最初から何も期待していない、私自身が学校嫌い、ということもあるのだけれど、そんなだからサトイモ不登校になってしまったのではないか、と反省する。

かといって、サトイモを歓迎してくれない人たちに無理やりサトイモを託すのも…、と思ってしまうし、いろいろモヤモヤする。

やっぱり転校がベストなのかなぁ…。

今のところサポートルーム登校がうまくいっているのだから、悩むのはひとまずやめよう。

もしかしてトイレ

千原ジュニアYouTubeチャンネルをときどき観ると、意外な芸人が不登校・引きこもりをしていたことを語っている。

髭男爵山田ルイ53世がその一人で、兵庫県三木市出身で六甲学院在学中に学校へ行けなくなったそうだ。

そのきっかけが、登校途中に大をもらしてしまったこと。

ロケーションが身近なこともあり、そんなこともあるんだなぁ、でもなんか気持ちわかるなぁ、と思って話を聞いた。

 

サトイモのトイレ問題

サトイモは幼稚園の頃から、大をするときに長時間トイレにこもる癖を持っている。

なかなか戻ってこないし、中で何をしているのかわからない。先生方も心配なので、何度も様子を見に行ったり声かけをしたりしなければならず、懸案事項だった。

特に、お昼ごはんを食べるとトイレに行きたくなる性分で、昼休みをまるまるトイレで過ごすことも多かったようだ。

それが小学校に入ってからも続いたようで、一学期、担任の先生からトイレ問題については注意があった。

そうこうしているうち、サトイモがトイレ個室に閉じこもり、トイレを水浸しにしたり、便器ではないところに大をしたりという問題行動を起こす。

サトイモはトイレができないわけではない。なのになぜ??

担任にかまってほしいから?

みんなを困らせたいから?

問題行動は2回だけで、その後何もないまま一学期が終わり、不登校になった。

 

給食を再開しても?

ひとまず先週2日間サポートルーム登校が上手くいったので、担任の先生と今後の予定を話し合った。

明日からも基本は5時間目のみサポートルーム登校をする予定。

ただ、「昔あそび」という特別イベントの日があるので、そのときだけ通常学級でみんなと一緒に参加する。

その次、20日の週から、給食を再開させ、4時間目から登校させようと思う、と話をしたとき、担任の表情が曇った。

「あまり無理をさせすぎると心配なんでね…」

とは言うものの、サトイモが無理して登校してトラブルを起こしたら面倒だ、と顔に書いてあるようであった。

サトイモは給食を早く食べ終えたときに、他の子が食べ終えるのを待つことができないので、食べ終えたら別室で過ごしてもらおうと思っています、と担任は言った。

また、トイレに行きたくなって長時間こもることになることも心配していて、

「それで結局、昼休みもお友達と遊べないかもしれません」

むむむむむ。

サトイモがトイレ問題を起こしたとき、担任がトイレ掃除をしてくれたらしくて、そのときのことが担任にはトラウマになっているようだった。

大で汚した日、電話で報告を受けたとき、

「あれは度が過ぎています」

と本当に怒っていた。

どれだけひどい状況だったのか見てないからわからないけど、よっぽどだったんだろう。

本末転倒だけど、

「そんなに迷惑でしたら、やっぱり登校は遠慮しときまっさ」

と言いたい気持ちになった。

 

わかってないとか?

2、3週間に一回くらいの頻度だが、サトイモはときどき家でトイレで失敗をする。

大ではなく小のほう。

便座に座ってするときに、おちんちんをしっかり持っていないので、便器と便座と隙間から別のところに飛んでいったり、横にもれたり、ズボンにかかったりするのだ。

「ママ〜!おしっこ失敗した〜!」

と言って平然としている。

わざとではないのを知っているから、

「はいはい、教えてくれてありがとう」

とこれまで叱らないように対応していた。

それについて夫が、

「もっとちゃんと教えなあかんのちゃうか」

と言った。

2歳頃、私が必死でトイレトレーニングをしていても何もしてくれなかった人が何を言うか、と耳を疑った。

とはいえ、おしっこをするときのおちんちんのポジション取りなど、私では教えられないことが多く、正しくやれているのかどうかわからない。

 

令和っ子AIネイティブ

先日、サトイモがトイレでおしっこをこぼしたときに、

「一度ちゃんと話し合わないと!どんなふうにおしっこしてますか?二度と失敗しないように、やり方を確認しないと!」

と私が詰め寄った。

「家やからええけど、学校のトイレを汚したらどないするん?ちょっと!聞いてるか!!」

サトイモは私の剣幕に逃げてしまって、まともに聞く耳を持たず、またもやウヤムヤになりそうだった。

ところが、しばらくしてから、サトイモが私のところにやってきて、

「もうトイレを汚さないようにするよ。もうやり方がわかったから」

と言う。

どうしたのか聞くと、

「じいじのスマホにアレクサみたいなのがあるやん」

「アンドロイドのAIのGeminiのことかな?」

「たぶんそれ。それに教えてもらったから大丈夫」

「えっ!AIにおしっこの仕方を聞いたの?!」

あきれて笑ってしまった。

AIもそんな使い方をされるとはビックリしただろう。

何をどのように質問したのか、どういう回答で納得したのかわからない。

ただ、私はこれで安心と思っていないことだけは事実。

山田ルイ53世不登校になったように、サトイモ不登校の原因の一旦がトイレにないとは言い切れない。

少しずつ、いろんなものが見えてきた。


f:id:naminonamimatsu:20250113175028j:image

↑パジャマ戦士サトイモ。一時期、紙で剣を工作することにはまっていた。

 

涙のとんど焼き

私の子どもの頃の楽しい思い出、とんど焼き。

収穫後の空き地みたいになった田んぼに、稲藁と竹で組んだ大きなとんど。稲作文化のピラミッドだ。

とんどは夜に火を付けるので、夕方までにお正月の注連縄や松飾り、門松、破魔矢やお札、書き初めを持って行って、めいめいがとんどの中に突っ込む。

鏡開きで下げた鏡餅を割ってアルミホイルに包み、竹に挟んで焼いて食べる。

お餅だけじゃなく、さつまいももアルミホイルで包んでとんどの中に入れ、焼き芋にしたこともあった。

火の粉をかぶったら、今年も無病息災。

とんどが終わったら、松の内も終わり。

日本のお正月の集大成。

大人になっても、とんど焼きにはまた参加したいなぁ、と思っていたけれど、とんどをしていた田んぼも住宅になり、いつの間にか地域でとんどが行われることもなくなり、どこでやっているのかも知らなくなった。

サトイモにもあの楽しいとんどを経験させてやりたいなぁ、と思っていたら、神戸市立森林植物園でとんど焼きをやっていることを知った。

 

行ってみること

明日はとんど焼きに行くよ、と知らせていたのに、サトイモは当日の朝になって行かないとグズった。

最近はよくおでかけをボイコットする。

とんど焼きを知らないから、行くモチベーションもわかないのだろう。

帰りにお買い物に行こう、ゲームセンターにも寄ろう、ということで行く気になり、なんとか出かけた。

森林植物園はまだ雪が残っていて、喜ぶサトイモ

とんどは思った以上に大きく、消防車もたくさん来ていて、わくわく感が上がる。

「町中で見る老人と違って、こういうところに来とう老人の顔はイキイキしとうなぁ」

と夫。

みんな大好きとんど焼き!

 

時代か地域差か

ただ、当然ながら私の子どもの頃のとんど焼きとはかなり違う。

まず、とんどの形。

藁でなくて竹と丸太。

森林植物園だからしょうがないのか、神戸ではそうなのか。

正月飾りなどを受付するブースがあって、入れるものは管理されている。

とんどの周辺にはトラロープが張ってあって、近寄れないようにしている。

消火は消防隊。

安全管理はバッチリだ。

思えば昭和の播州のとんどはズサンだった。

燃やす前のとんどに子どもがよじのぼって遊んだりしていた。

何でも勝手に入れてたし、どこまで近づくかは個人の判断だった。

「近寄りすぎや!」とよく父に怒られたものだ。

それでも、やってはいけないことをみんな暗黙のルールでわかっていたから、とんどで燃やす物にしても、とんでもないものを入れる人はいなかったと思う。

令和のとんどは管理されすぎてつまらない気がした。

 

震災の影響

近くで見たかったから、開始前からトラロープの前に縦一列に陣取った。

サトイモ、私、夫の順。

するとサトイモがトラロープをつかんでグイグイやるので、注意する。

後ろから手をつないだ姿勢で、開始の10時半を待つ。

「まだ〜?まだなの〜?」

サトイモは待ち切れない。

ようやく始まったと思ったら、森林植物園の園長のあいさつ。

サトイモがピョンピョンし始める。

「このあとね、もうちょっと待ってね」

もう終わったと思ったら、今度は実行委員長のあいさつ。

このとんどは阪神淡路大震災の十年後から、震災の記憶を風化させないために始まったらしく、今年は震災から30年記念であることなどを話された。

とてもよいあいさつだったけれど、サトイモが私にもたれかかってくる重さに私が耐えきれない。

ようやくあいさつが終わった、と思ったら、

「一分間の黙祷をします」

と言う。

もう耐えられない!

私はサトイモを後列の夫に預けた。

場所取りのため、私はトラロープの前で黙祷。

後ろのほうから、「なんでダメなの!!」「離して!!」「やめて!!」とギャーギャー騒ぐサトイモの声が聞こえる。

一分間、はよ終わってくれ〜!!と祈るものの、こういうときの一分は長い長い。

 

大暴れ

列に戻ろうとするサトイモと後ろへ連れて行こうとする夫が戦っていた。

雪や霜が溶けて地面がぬかるんでいるので、普通に歩くだけでも靴が泥だらけになっているのに、サトイモが蹴ってくるので夫のズボンは泥だらけ。

夫はサトイモを突き飛ばすのでサトイモも泥だらけ。

私が辞めさせようとサトイモを抱きしめ、

「まず落ち着いて。何がしたいのか教えて」

となだめようとしても、その私を蹴ってくるので私も泥だらけ。

夫は、

「もうあかん。帰ろう」

サトイモの手を掴んで引きずっていく。

抵抗するサトイモが引きずり回される。

「やめて!!いいかげんにして!!」

と私が止める。

サトイモはズボンが泥で濡れているからとズボンを脱ぎ始める。

「こんなところで脱ぐな!!」

と夫がまた怒る。

サトイモも観念して、夫と手をつないで車へ歩いて行った。


f:id:naminonamimatsu:20250113094612j:image

私はせめて点火まで残った。

これだけ暴れたあとでも、まだ火がついていなかった。

これで帰ったら本当に何をしに来たのかわからない。

火がついたとき、すでに二人は会場からいなくなっていた。

離れたところで見ていたが、それでも熱さが伝わるくらい、大きな炎だった。

写真では伝わらないこの熱さを、サトイモにも体感してほしかったのに。

 

大反省会

帰りの車内で、反省会を開いた。

夫が、

「もうサトイモとはどこへも行かれへんな!病気や!」

と怒っているので、

「病気です。病気だからこそ、私たちの対応が間違ったらあかんのです!!今日、引きずり回してたのはやりすぎ!!あんなことせんかったら、ズボン脱いだりせんかったでしょ!!」

と私も夫に怒ってしまった。

「自分で自分の性格を温厚って言ってなかったっけ?管理職研修でアンガーマネジメント講習も受けたでしょ?」

するとサトイモまで同調して、

「そうだよ、パパのせいだよ!」

と泣きべそをかく。

「いいえ!パパは悪くない!悪いのはママ!ママがどうしてもとんど焼きを見たいって言うたから、パパは連れてきてくれただけ!」

反省すべきは、最前列だったこと。

点火まであんなに時間がかかるなんて誤算だったとはいえ、後ろにいたら退屈して少々おしゃべりしてもかまわなかったし、雪を触ったりドングリを拾ったりして時間をつぶしてもよかった。

前で見たい、見せてやりたいというのは、すべては私の自己満足だ。

「ママが一番悪かった」ということで、そのときは丸く話が収まった。

 

夜、サトイモは夫と一緒にお風呂に入った。

夫によると二人で反省会をして、お互いに謝りあったらしい。

以前にはなかった和解ができるようになった。

二人ともすごい成長だと思う。

 

その後、つい欲張った私が、サトイモに宿題をさせようとしてサトイモとトラブル。

サトイモがカイロを投げつけてきたり、パンチやキックをしてきたりしたので、

「そんなことする子とは一緒に寝えへんからな!一人で寝ろ!」

と私が怒り狂ってしまう。

成長してないのは私だな。

新年サポートルーム登校

昨年は父が亡くなったので、喪中の新年。

Eテレの2025年の干支ソングが大槻ケンヂ歌唱の『DAPPI』という幸先のよい幕開け。

www.nhk.jp

今年こそ、いい年にするぞ!!

 

今年はがんばる

昨日からサトイモが学校に行っている。

といっても、5時間目だけ。

しかも、不登校児童が通うためのサポートルーム登校。

でも、サトイモにとっては月面着陸ほどの偉業。

普通の子には小さな一歩だが、不登校児にとっては大きな跳躍だ。

ひとまずはスモールステップから始めて、5時間目サポートルーム登校を毎日続けることを目標にした。

かなり低い目標だけれど、本当に行けるのかどうか半信半疑だったし、一日行ったところで嫌になって翌日からまた行けなくなるかもしれない。

どうにかして、毎日行けるようにしなければ。

 

もう一度ABA

昨年秋からこの冬は、図書館で発達障害不登校、癇癪、問題行動対応関連の書籍を借りて読む日々だった。

その中で、奥田健次という人の書籍を読んで、もう一度ABAをやってみようかという気になった。

ABA、応用行動分析。

去年までサトイモが通っていた児童発達支援教室は一応ABAに基づいた療育をするという事業所で、そのとき一応、私も理論を知った。

でも、なかなかうまくいかない。

インセンティブ制にしてしまったせいでサトイモが打算的になり、自分にメリットがないと動かない子になってしまった。

挙句、家庭内が条件闘争だらけになって、公園から帰るにしても、

「ずっと公園で過ごすか、500円くれるかどっちかだよ!」

と現金をねだる始末。

こども病院の精神科医からは、

「それは、これまでお母さんがコントロールしようとしてきた仕返しをされてるんですよ」

と言われてしまった。

なので、しばらくは条件付けをやめて、

「やらないといけないことはご褒美がなくてもやらないといけないし、そうじゃないことはやりたければやればいい。やりたくなければやらなくていい」

と方針を変えていた。

今でも、本当はそれが正しいと思う。

でも、せっかく行けるようになった学校には、できれば行き続けてほしい。

それで、久々のABAをやってみることにした。

参考にしたのは、長澤正樹著『子どもの問題行動へのエビデンスある対応術 ケースで学ぶ応用行動分析学』に載っていたトークンシステムのポイント制度。

クレジットカードのポイント制のようにポイントを貯めたら、景品に交換できるというシステムにしてみた。

壁に貼っているポイント制度概要

f:id:naminonamimatsu:20250110165531j:image

夫には、

「ご褒美や条件で釣るのはもうやめたんちゃうかったっけ?」

と言われたけれど、とにかくダメもとでやってみる。

ポイントシステムについてサトイモに伝えると、

「ポイントためてゲームセンター行くぞ!がんばるぞ!」

とめっちゃヤル気になっていた。

 

サポートルームはいいかんじ

そして昨日今日と、サトイモは登校できて、最後まで学校にいることができた。

15pt+15ptで30ptゲットである。

サポートルームでは「みんなの先生」と呼ばれる副担任的な先生がマンツーマンでついていてくれた。

そのうえ、

「ママもいてほしい」

というので、一時間付き添ってサポートルームで見守り。

おかげで、サポートルームの雰囲気や、みんなの先生やサポートルームの支援員の先生もどんな人なのかわかった。

まるでフリースクールのような、伸び伸びできる雰囲気。

サトイモも、

「学校に行って楽しかった。サポートルームなら毎日行ける。朝からでも行ける」

と言っていた。

残念ながら、サポートルームは3時間目からしか利用できない。

それに、サトイモ一人だと時間を持て余すので、誰か支援してくれる先生が必要だけれど、みんなの先生をずっと独り占めするわけにもいかない。

学校にはもう行かないと言っていたので、不登校長期化を見据えて給食を止めてもらっていたので、朝から学校に行くと言われてもすぐには給食も利用できない。

とりあえずは5時間目1時間で満足してもらうしかない。

 

担任は嫌いではないと言っていたけど?

「サポートルームでは先生と二人で勉強をするんだよ」

と伝えたとき、サトイモが、

「担任の先生と?」

と聞いてきた。

「みんなの先生とだよ。担任の先生は1年1組で授業しとうから」

「よかった。みんなの先生だったらいいよ」

「え?それどゆこと?」

「担任の先生とやったら嫌やなと思って」

「なんで担任の先生とやったら嫌なん?」

私の問いにサトイモははっきりとは答えなかった。

「担任の先生は毎日やから飽きたんや」

とりあえずそんなことを言ったが、それは本心ではないように思えた。

学校が嫌な理由について、これまで担任の先生が嫌いなわけじゃない、と答えていたが、ちょっとひっかかってきた。

今日、学校に行った後、来週からの登校計画について担任の先生と私で話し合った。

そのときに、私自身が、

「あ、窮屈なかんじがする」

と思ってしまった。

きっちりしっかりした先生だから、サポートルームの利用だとか給食のこととか授業の参加のこととか、学校側の都合でできないことを先に伝えてくる。

学校側の都合で何ができないか、何が無理か、何をやってはいけないか。

「飽きた」というのはマイルドな表現で、「この先生とずっといたら息が詰まりそう」という気がした。

 

エンジェルが折られたもの

学校という不自由さを象徴しているなと感じたことが昨日あった。

サポートルームにやってきた3、4年生くらいの男の子が紙飛行機を折っていた。

サポートルームの支援員の先生がその子に、

「ごめんな、こないだまでサポートルームで紙飛行機折って飛ばしてたんやけど、ここの小学校では紙飛行機飛ばすの禁止なんやって。先生知らんかったから、〇〇先生に怒られてん」

と伝えていた。

「えーっ、そんなぁ」

と残念そうな男の子。

「飛ばされへんから、あそこの棚にいっぱい入っとうやろ、紙飛行機の残骸」

ロッカーの一つに、紙飛行機が山ほど突っ込まれていた。

無残に飛べなくなった紙飛行機は、まるで自由を失った子供たちのもがれた翼のようだった。

かわいそうに、教室のロッカーの中にぎゅうぎゅうに押し込まれて。

私は昭和生まれの習性で、ついつい中村あゆみの『翼の折れたエンジェル』を心の中で歌ってしまった。

我らが筋肉少女帯には『心の折れたエンジェル』という曲もある。

翼が折れただけならまだ走っていけるけど、心が折れたら動けなくなる。

なんとかならないものかな、学校のこの窮屈感。

よいお年を

2024年もあと1日でさようなら。

振り返ると、今年は長い一年だった。

1月、父が倒れて救急搬送

2月、サトイモと私がコロナ罹患

3月、サトイモが幼稚園卒園、私が退職

4月、サトイモの小学校入学

6月、父が逝去

7月、サトイモの登校しぶり激化

8月、サトイモ睡眠障害

9月、サトイモ不登校家庭内暴力

10月、サトイモ不登校支援であちこちに連絡

11月、こども病院初受診

12月、神戸大学心理教育相談室初受診

 

12月になって、ようやく平穏な生活が送れている。

サトイモも、薬のおかげか私たちのアンガーマネジメントの成果か、ずいぶん大人しく、聞き分けよくなってくれた。

先日、初めて夫と二人でこども家庭センターの面談を受けた。

「うまい具合に良い方へ回り始めたみたいでよかったです」

と担当者から言われた。

9月10月に蒔いた支援への種が発芽して、伸ばした手にようやく繋がってきたかんじだ。

特に、10月に申し込んだ神戸大学心理教育相談室については、先日初めてヒアリングを受けた。来月から本格的にセラピーが始まる。

 

勇気25%

サトイモが学校へ行く勇気も少しずつたまってきたらしい。

『勇気100%』という歌があるけれど、ある日サトイモが、

「学校へ行く勇気が5%たまった」

と言い出した。

家に帰ってきた夫にそれを伝えると、サトイモが横から、

「5%ちゃうで、もう10%になった」

と言う。

斜線だけの通知表をうちまで持ってきてくれた担任の先生に私が勇気10%の話をすると、本人が、

「もう25%までたまった」

と言い、自分から、

「もうそろそろ学校行ってもええかな。明日からでも行けるで」

と言った。先生もびっくりして、

「すごくうれしいよ。でもね、明日から冬休みなんだよ〜」

と残念なお知らせ。

来年、とりあえず5時間目だけサポートルームで過ごす日を約束した。

 

幸せ宣言

先日サトイモが突然、

「ママ、赤ちゃんのころからこんなにお兄ちゃんになるまで、育ててくれてありがとう。ママがお世話してくれなかったらボク生きてなかったよ。ママはボクに幸せになってほしいんでしょう? だから、大人になったらボク幸せになるよ」

と言ってきた。

何のきっかけでそんなことを言おうと思ったのかわからない。

でも、「ボク幸せになる」宣言はすごくうれしかった。

不登校でもニートでも貧乏でも何でもいいけど、幸せならそれでいい。

(↓星形のピノが当たった!!)
f:id:naminonamimatsu:20241230164102j:image

ジェットコースターのような一年が終わろうとしている。

前途多難は来年もまだまだ続くはずだけれど、なんとか今年は乗り切れた。

たくさんの友人が力になってくれて、支えてくれた。ひとえにそれに感謝。

みなさんよいお年を。

そして来年もよろしくお願いします。

なんにもわかっていなかった

こども家庭センターでサトイモが初めて発達検査を受けたのが10月17日。

予定していた2時間で終わらなくて、続きを10月31日に受ける。

ところがそれを途中で逃げ出し、現在に至る。

3回目、連れて行こうとしてもどうしても嫌だと言って拒絶。

こども家庭センターの担当者も、どうしましょうかねぇ、なんて言いながら、そのままほったらかしになっていた。

問題があるから発達検査を受けてるんだから、逃げ出す子もいるでしょうに、不確かな体制に素人臭さを感じる。

ていうか、単に人手不足なんだろうなぁ…。

病院でも発達検査は受けられるけれど、中途半端にこども家庭センターで受けてしまっているから、再度受けられず。

同じテストで問題を覚えてしまっていたら、いい点を取れてしまうからだ。

とはいえ、このままではラチがあかないので、受診済み部分だけでも結果のフィードバックをしてもらうことになった。

日程調整について私がセンターにお願いしたのは、できれば夫にも一緒に来てほしいので、複数の候補日を挙げてほしい、ということ。

 

父親トレーニン

これまで、幼稚園のときに2回発達検査を受けた。そのときの説明は、私と幼稚園の先生が聞いた。

それ以外でも、病院の受診、児童発達支援教室や通級教室での面談、幼稚園や学校での面談など、思い返せば、夫が外部の人からサトイモの発達について説明を聞くことはなかったと思う。

夫なりにサトイモ発達障害のことは考えているんだろうけれど、私から見える姿はいつも他人事。

発達障害や発達凸凹について、何も理解してないような感じがする。

例えば、サトイモが部屋中散らかし放題していると、夫は頭ごなしに、

「ちゃんと片付けろ!!」

と怒鳴る。

「片付けろって言っても、具体的に言ってやらないとこの子には伝わらないのよ。床に落ちているトミカを全部箱に入れなさい、とか」

と私が助言したところで、夫は言い直す気配がない。

「ちゃんとせぇ!!」

…全然伝わらない。

結局、サトイモは色画用紙でお片付けボックスを自作し始めた。

できた箱に学習グッズや文房具を入れ、

「ボクはセイリセイトンが好きなんだ〜」

と自己満足していた。

f:id:naminonamimatsu:20241217161511j:image

でも、床にオモチャや折り紙が散らばったまま…。

片付けてほしいのは、そこじゃないんだよ…。

私は、「だから指示は具体的に出さないとダメなんだけど…」と夫に対してため息が出る。

それで、こども家庭センターの発達検査の結果説明に同席してほしい、と頼んだところ、夫はちゃんと会社の休みを取ってくれた。

でも、

「来いって言うなら行くのは行くけど、それで何か変わるん?」

と夫が不満気に言った。

何が変わる?!

私はついカチンと来て言ってしまった。

「変わるのはあなたですよ!」

その言い方に夫もムカついたようで、

「なんでそんな言い方しかできんのや!」

と怒ってしまった。

まずはサトイモの特性を理解して、周りが対応方法を学ぶしかないのだ、ということを伝えようとするけれど、どうもうまくいかない。

 

学校の勉強は難しい

今朝、何気なくサトイモと勉強について会話をした。

勉強のどこが嫌だと思っているのか、聞いてみたのだ。

するとサトイモから、

「学校の勉強はだんだん難しくなって、ついていけなくなった」

という発言が出た。

正直、全く思ってもみなかった。

幼児教室でやっていた算数は二桁の計算。

サトイモはちゃんと解けていたから、小1の算数なんて楽勝だと思っていた。

国語についても、繰り返し練習は苦手だとしても、読解力はあるから大丈夫だと思っていた。

ところが、本人は難しいと思っていたのだ。

「もしかして、ついていけないっていうのは、速さのことかな?」

「うん」

「簡単な足し算をいっぱい解いて、速さを競うのとかが嫌なのかな?」

「そう」

「国語でノートに字を書くのも、間に合わないかんじ?」

「そう」

発達検査に時間がかかったということは、処理速度が遅いのかもしれないな、と薄々感じていた。

大人の知能検査と違って、サトイモが受けた幼児用のWIPPSIという知能検査では処理速度についての説明がなかった。

今度の発達検査の結果では、そのあたりを教えてもらえるかもしれない。

不登校のカギが、処理速度の遅さにあるのかも…。

サトイモはトータルIQが高いから学習面は大丈夫だ、という私の思い込みが、彼を苦しめていた可能性がある。

「だったら、つまづいたところからゆっくりやり直そうよ。勉強って、やればやるほどわかってくるもんだよ」

私は励ましたつもりだけれど、一度勉強に興味を失ったサトイモのヤル気はなかなか戻らない。

やればできる子だと信じてきたけれど、なんだか不安になってきた…。

次の一手

なし崩しに「じいじのスマホ」(サトイモスマホ)をWi-Fi接続してしまって、またもやサトイモのデジタル中毒が加速した。

YouTube中毒も続行中。

目を休めるために30分経ったら休憩する、というルールはあるものの、休憩時間のルールを明確化していなかったために、ちょっと休憩したらまた始めてしまう。

ただ、ちゃんと自分でタイマーをかけて時間が来たらやめている。

「約束どおりやめられた」ということを私は評価して、あんまり厳しいことを言わないようにしている。

サトイモは、放課後等デイサービスにもスマホを持って行っている。

最初はそんなこといいのかな、と思っていたけれど、本人がどうしても持っていくというので渋々持たせていた。

「一人で黙々とゲームをしているのではなく、スタッフやお友達にこれやってみて、と貸して遊ぶなど、スマホがコミュニケーションツールになっているようです」

というスタッフさんの話からも、スマホを全否定することはない気がしている。

「ゲームは10分だけ」という放デイ内のルールも一応守っているようなので、それも容認している理由のひとつ。

だとしても、スマホゲームばっかりやって時間をつぶしているのが子どもにとって言い訳がない、と思う。

学校に行かなくてもいいから、せめて有意義な過ごし方をしてほしい…。

でも、どうすればいいかがわからない。

 

戦略を考えるのだ

夫は、サトイモスマホゲームをしている姿を見ると、

「ゲームばっかりするな!」

とお小言を言う。

そんなことを言ったところで、「じゃあやめます」となるわけがないし、「ボクは30分ルールを守っているのに、パパがガミガミ言う」と親子関係が悪化するばかりだ。

「あんまり怒らんとってやって」

と私が注意すると、

「ほんならこのままでええんか」

夫は言う。

「私もスマホゲームはやめさせたいけど、やめさせる方法として怒るのは違うってこと。怒ったところであの子は絶対やめへんで。やめさせたいんやったら何か戦略をねらなあかんと思う」

「ええわ、もう。ゲームしとっても注意せえへんわ。ほっといたらええんやな」

「なんでそうなるん?」

夫婦の会話はいつも嚙み合わない。

 

Switchのほうがマシ?

またあるとき。

夫が、

スマホゲームみたいな質の悪いゲームやらせるくらいやったら、ニンテンドーSwitchを買うたったらどうやろ。そっちのほうがマシちゃうか」

と言い出した。

確かにそんな気がする。

私も、どうせゲームをやるなら『あつまれどうぶつの森』だったり『Minecraft』だったりをやらせたほうがいいような気がして、何がいいのか考えていた。

でも、本人が欲しがってもいないものを買い与えたところで、おそらくスマホYouTubeを忘れるわけはない気がする。

スマホゲームもやる、YouTubeも見る、そしてSwitchもやる、とデジタルデバイスが増えるだけではないだろうか。

夫は、「Switch買うたったらスマホは取り上げる」という。

そんなの、本人は今一番やりたいのがスマホゲームなのに、納得できるわけがない。

本人が「スマホは返すからSwitch買って」というなら別だけど…。

そのあたりが夫は強権的だなぁ、と私は眉をしかめた。

夫はそもそもゲームを全くやらないので、今時のゲーム事情を知らない。スマホゲームにも理解を示さない。

子どもがどんなものを好きで、何が面白いと思っているのか、理解してやるのが第一歩では、と私は考えているので、話がすれ違う。

禁止しないで、子どもの成長の糧にできる良策はないものだろうか…。

 

フリースクールも停滞

一番近いフリースクールに見学に行ったあと、「次はぜひ体験に来てください」と言われていた。

サトイモがあまり乗り気ではなかったので体験の日が決まらなかったけれど、調子のいい日に「行ってみる?」と尋ねると、「行ってみる」と言うのでアポイントを取った。

私はわざわざこの日に合わせて、代表の先生が出している本を読了。

いい先生、いいフリースクールな気がする。

通うことができたら、サトイモのためになるのでは!?

ところが。当日になってサトイモが「行きたくない」とゴネる。

結局キャンセル。

私はムカついて、

「行きたくないなら好きにしたらかまへんよ。けど、それで家でママと遊んでもらえると思ったら大間違いやで!ママは一緒に遊ばへんからな!」

と毒づいた。

サトイモサトイモで、

「ボクはお手伝いもしてやってるのに!」

などといってゴネていたけれど、しばらくしてお互いに少し冷静になって、これからどうするか話し合った。

「ママは、ママとサトイモが二人で家で過ごすのは、サトイモのためにはならないと思う。家だと勉強しないでしょ。ママが教えたって聞かないでしょ。誰か別の人と、別の場所で、いろんなことをやってみることが大切だと思うんだけど」

「そんなことないよ、ボク、家にいても勉強になってると思うよ。ママだけじゃなくてパパもいるじゃないか。漢字を練習するよ。ほかの人じゃなくてママに教えてほしいんだよ。今からやる!」

そしてヤル気になって、10分ほど漢字練習をした。

そして休憩。

休憩後、

「もうこれだけやったら十分じゃない?」

とやらなくなってしまった。

呆れて付き合う気にならず。

最近のサトイモは早寝早起きはしているし、もうキレて暴力をふるったりすることはなくなった。

その点では良い子である。

でも、次の手をどう打てばいいのか、手をこまねいている。

サトイモが見た一番楽しい夢は、鬼の赤ちゃんの魔法でバスタブで空を飛んだこと。