これまでのまとめ。
1/11木曜日
父が倒れているのが発見され、救急搬送。一時心肺停止になるものの、救急隊員の蘇生処置と努力によって心臓が動き出す。でも、意識は戻らない可能性が高いとのこと。
1/12金曜日
お見舞いに行くと、父が目覚めていた。意思疎通もできる。医師も看護師もビックリ。
カテーテルが入って、尿は管から排出されているのだが、尿意があるらしく、必死でトイレを訴える。
看護師によると、最初はそういうものらしい。
だんだんカテーテルが認識できてくると、大丈夫だとわかるようになるそうだ。
尿意があるのにトイレを我慢しているかんじが続くというのも、なかなか気の毒だ。
1/13土曜日
意識不明なのと、意識があって起き上がるのとでは、入院生活に必要なものが変わってくる。
それで実家から、
- 入れ歯
- メガネ
- 補聴器
の3点を取ってくる。
ついでに父のスマホと充電器も。
病院では父は相変わらずICUだったが、昨日までの個室ではなくオープンな場所に移動していた。
昨日、
「退屈?」
と尋ねると、うんうん、と頷いていた。
すると病院スタッフが、
「テレビを頼んでみましょうか? 一般病棟やったら普通にテレビがあるんですけど、ここにはないんですよ。ICUで退屈する患者さんってあんまりいないんで」
と笑いながら言っていた。
そりゃそうだ。
ほかの人はほとんどが意識不明で寝ているのだから。
さっそく今日からテレビを手配してくれたらしく、父は大学ラグビーの試合を見ていた。
鼻にはまだ管が入っていたが、口の酸素チューブは外れていた。
「テレビつけてもろたん。よかったねぇ」
と私が言うと、
「明治が負けとんや」
と父は言った。
心肺停止から復活した父の、私が聞いた第一声がそれだった。
もっと言うことがあるでしょうが!
とは思うけれども、まあ、うちの父はそんなもんだ。死ぬまでそういう人。
「メガネと補聴器持ってきたよ。でも、メガネがなくてもテレビ見えとんやね?」
「うん」
「補聴器は?つけたほうがいい?」
と私が父の耳に補聴器をつける。
「うん」
と父。
電源が入っているのかどうかよくわからず、
「使い方あってる?着けたらよう聞こえるようになった?」
と尋ねると、ぼーっとした顔で、
「うん」
と言う。
でも、耳にまで這わせてある酸素チューブの管が邪魔になって、補聴器がしっかりと装着できない。
「補聴器あったほうがいい?ないほうがいい?どっち?」
と尋ねると、
「うん」
とアホのように返事をする。
「なんや、どっちなんよ?」
「うん」
「ボケとん?」
「うん」
そのやり取りを聞いていた看護師さんが、
「まだボンヤリされてるんだと思いますよ」
とフォローしてくれる。
ついつい、目覚めたら以前と同じように考えてしまったが、まだまだICUの病人なのだ。
1/14日曜日
家族3人でお見舞いに行く。
お見舞いだけに姫路に行くのはもったいないので、姫路城に遊びに行った。
天守閣にまで登ったのは何年ぶりだろうか。
サトイモは迷路のようなお城内部に興奮して走り回り、急勾配の階段に、
「これは子どもに優しくない階段だよ〜!」
と叫んでいた。
三の丸広場やお堀周辺にボランティア鎧武者がちらほらいて、観光客と記念写真を撮っている。
ぜひ撮ってもらえばいいのに、サトイモは鎧武者を怖がって逃げていた。
小学生の子ども武者がいて、唯一その子は怖がることなく写真を撮ってもらった。
その子は薙刀の振り方についても武者スタイルについても、自分の考えでやっているという。
子どもながらたいしたもんだ。
父に会いに行くと、なんと車椅子に乗っていた。
看護師に押してもらって待合まで出て来れたので、サトイモとも会うことができた。
父は、お腹が空いたので何か食べたい、風呂に入りたい、と要求を述べていた。
あれこれしたいと要求があるのは悪いことではない。
1/19金曜日
病院から電話があってドキドキしながら出たが、食事についての報告だけです、というのでホッとした。
嚥下が難しく、流動食のようなものでもむせてしまうという。
「一旦心臓が止まってたんで、いろいろ機能が弱ってるんです」
心臓って、やっぱり一番大事なんだなぁ…。
「ご自宅に帰られるのはちょっと難しいと思うので、ソーシャルワーカーから今後の転院について、またご相談させてもらいます」
母のときもそんなかんじだったので、そうだろうなと思う程度。
胃瘻をするかどうか、意向を聞かれるのかと思った。
いずれ尋ねられるだろうけど。
1/20土曜日
前回、看護師から、
- 靴
- 靴下
- マスク
を持ってきてほしい、と言われていたので、購入して持って行く。
1/16に、ICUからHCUという病棟に移っていた。
今日は熱が出ているらしく、車椅子には乗れずに寝ていた。
「ポカリスエットを持ってきてくれ。のどが渇いたから、冷たい飲み物が飲みたいんや」
「でもなお父さん。うまく飲み込むことができへんらしいやん。間違ったら肺炎になるんやで」
「医者もそういうんやけどな、どうもない、大丈夫や」
「大丈夫なことないやろ」
そのやり取りを何回か繰り返した。
とにかく、飲みたいのに飲ませてもらえず、食べたいのに弁当も出ない、と文句を言う。
食べたいのに食べさせてもらえないから、テレビでクッキング番組ばかり見ているのだと言った。
腕は点滴や注射のあとだらけで、点滴は痛いのだそうだ。
若い頃は、
「点滴や注射の何が痛いんや。元気になるからなんぼでもしてくれ」
と言っていた父が、老人になって痛がるなんて皮肉なものだ。
紙コップに、とろみをつけた水が入っており、スプーンが差してあった。
「これで水を飲ましてもろとん?」
と聞くと、父がそうやと言うので、スプーンを父の口に運ぶと美味しそうに食べる。
「ほんまにええんかな?」
「かまへん」
数口食べたところで、父が苦しそうにむせる。
ナースコールをするべきかどうか迷うレベル。
「ほらやっぱりあかんやん!」
「いや、どないもない」
「さっき!!死にかけてたやん!!」
「大丈夫や」
私もアホなので、懲りずにまた水を与え、数口くらいでまたむせた。
3回繰り返す。
そりゃあ病院側は怖くて食べさせられないだろう。
「次来るときはポカリスエット買うて持ってきてくれ」
心肺停止のせいか、以前からこうだったのか。
病院からの帰り道、昨年末にボーナスで買ったばかりのイヤリングを落とし、茫然自失。
往復して探したけれど見つからず。
でも、明日、もう一度探したら出てくる気がする。
望みは捨てない。