何度か父の病院から電話がかかってきた。
その都度、父の状態が急変したのではないかとハラハラしながら電話に出る。
だが、実際はほぼ逆のことが多かった。
医師からの電話は、
「嚥下が難しくひどくむせます。食べると肺炎のリスクがあります。肺炎が命取りになります。リスクをとっても食べさせますか? 安全策を取るなら、鼻から栄養を入れるだけにして食べさせないこともできますがどうしますか?」
という意向に関する問い合わせ。
飲食の楽しみを奪われて長生きする意味がない、と父は思うだろうから、リスクを取っても食べさせてやってくださいとお願いする。
看護師からは、
「1月27日土曜日に一般病棟に移ります。個室しか空いてないので、料金がかかりますがご了承いただけますか」
という事務的な問い合わせ。
空いてないならしょうがない。
嫌だといったらどうしたのだろう?
(あとから知ったのだが、個室料金は一泊13,600円!最初に金額を言われていたら断っていたと思う。事後承諾とかひどいよ!)
そして、ソーシャルワーカーからは、転院に関する連絡。
救急車で運ばれた病院は急性期病院といって、救命して落ち着いたら出ていくように言われる。
そして次はリハビリができる病院へ。
そのリハビリ病院も、2ヶ月しか置いてもらえない。
その後は家に帰るか、また別の転院先や介護施設を見つけるしかない。
その流れは、母のときに経験済みだ。
ソーシャルワーカーから、嚥下のリハビリができる病院を3つ、提案してもらう。
私の通いやすさなどを考えて、希望順を伝えた。
転院日決定
しばらくしてから、第一希望の病院が受け入れてくれることになった、という連絡があった。
ちなみに、第二希望・第三希望の病院からは断られたそうだ。
結果オーライ。
「転院日は1月31日ですので、10時半に来ていただけますか?」
「えっ、それ、決め打ちですか?」
「受け入れ先の病院の都合ですので、変えられないんです」
もちろん、父一人で転院できるわけがなく、今の病院の退院手続き、次の病院の入院手続きは私がしなければならない。
にしても、なんで月末なんだよぅ…。
「どうしてもその日なんですね?」
「もしどうしても31日が無理なら、2月1日でも」
「それも月初なんで一緒です…」
忙しい時期の忙しい日に休まないといけない。
31日はサトイモの幼稚園の個別懇談の日だったのだけど、日を変えてもらうしかない。
懇談日を変更してもらっても、またその日も職場を休まないといけない。
効率化と人件費削減のために職場はいつもギリギリの人数とギリギリの時間で回っている。
もう仕事なんてやってられないな、としみじみ思う。
着の身着のまま
ソーシャルワーカーから、転院に際しての持ち物を教えてもらう。
- 保険証
- 印鑑
- 着替えの服
何しろ、救急車で運ばれたとき、父は下着姿だったので、服を着ていなかった。
病院ではレンタルのパジャマを着させてもらっているからよかったけど、転院で移動するときには自前の服がいる。
土曜日、実家に帰り、服を取ってくることにした。
この日、中学時代からの親友と会う約束をしていたので、親友に駅から私の実家まで車で送ってもらえないか、頼むことにした。
荷物が山盛りになるから、送ってもらって本当に助かった。
親友には、母のお通夜の日にサトイモを預かってもらった。
サトイモは親友のことが大好き。
なので、この日はサトイモも連れていった。
人に頼ってばかりだけど、おかげで友人と久しぶりの楽しい時間を過ごすこともできた。
何事も、禍福はあざなえる縄のごとし。
元気が減っている
親友と別れてから、服を持って父のお見舞いへ。
子どもは面会できないので、サトイモは病棟の前で待っていてもらう。
普段は絶対触らせない私のスマホを渡し、ゲームをやらせていたら、サトイモは何分でも平気で待てる。
一般病棟の、ホテルのようなキレイな個室で、父は大相撲中継を見ていた。
9階にあるので、遠くに姫路城が見える。
眺めがいいので、写真を撮っておこうと思ったが、そういえばサトイモにスマホを渡していたのだった。残念。
父との会話はちぐはぐだった。
目覚めて以降、だんだん元気を失っているように感じる。
病院で寝てばかりの日々で、どんどん頭にモヤがかかってくるのだろう。
この日、父を救急搬送してくれた消防署宛に、お礼の手紙を書いて投函した。
サトイモにも書いてもらった。
文面もサトイモが考えたものだが、
「みんなにかんしゃです」という一文を書いたことに驚いた。
父もちゃんとそう思っているだろうか。