奇才サトイモの元気が出る発達日記

発達障害(ADHD&ASD)の疑いがある息子サトイモの子育て日記です。

Hello!リハビリ病院

ソーシャルワーカーからの、転院日のスケジュール説明はこんなかんじだった。

  • 10時半に来て下さい。
  • その後退院の手続きをしてください。
  • 10時50分にリハビリ病院から介護タクシーのお迎えが来ます。
  • 娘さんもその車に乗ってリハビリ病院に行き、入院手続きをして下さい。

 

軽く言ってくれるけれど、1月31日は平日。

朝はサトイモを幼稚園に送っていってから行かねばならない。

前の日、サトイモに丁寧に説明をして、早起きして早めに家を出ることを言い聞かせた。

「絶対に遅刻できないんだからね!」

その甲斐あって、予定どおりに段取りが進み、10時25分には病院到着。

 

ところが。

こちらが必死で10時半に間に合わせたにもかかわらず、病棟に到着してもしばらく待たされる。

「お待ち下さい」と言ったまま、誰も出てこない。

10時40分になってもまだ誰も来ないので、

「50分に転院先の病院からお迎えが来るはずなんですが、それまでにこちらの退院手続きを済ませる予定で来てるんです。間に合いますか?」

と焦って問い合わせた。

 

病院は平気で人を待たせる。

医者が別の患者を診ていて待たさせる、というのなら理解するけれど、事務的な手続きくらい、約束通り時間守ってくれよ。

 

その後、リハビリ病院のお迎えも20分ほど遅れた。

私は一人、待合室で待たされた。

だったら、せめて父に面会させてくれよ。

「着替えをさせたり、持ち物をまとめたりしなくていいんですか?」

「全部こちらでしますので、大丈夫ですよ」

まあ、やってくれるというなら任せるしかないけど…。

 

ようやくお迎えが来て(渋滞が原因らしい)、病室から車椅子に乗った父が出てきた。

病院のレンタルパジャマから私服に着替えてはいる、が…。

土曜日に私が着替えとして持参したのは、アンダーシャツ、襟付きシャツ、セーター、ダウンジャケット、ズボン下とズボン。

靴下と靴は新品を購入して、だいぶ前に持って行っている。

なのに、車椅子で登場した父は、襟付きシャツは着ておらず、ダウンも肩からグシャグシャに羽織った状態。

しかも、靴下なしで靴を履かされていた。

 

襟付きシャツは丸めて手提げに入っていたし、靴下は新品のままタグも取られていなかった。

リハビリに靴と靴下が必要だと言われて慌てて購入して用意し、

「靴も靴下も買って用意ししたんですけど、サイズ大丈夫でしたか?」

と聞いたら、看護師は、

「大丈夫でしたよ」

と返事していたのに…。

 

病院が言う「大丈夫」とか「こちらでやります」とかが、どこまで信用できるものなのか、ちょっと半信半疑になる。

もうここの病院は退院するけど、次の病院だって同じようなものかもしれない。

 

脱走癖再発

リハビリ病院からお迎えに来てくれたのは、看護部長さん。

明るくて楽しい「おばちゃん」キャラで、親しみが持てる。

送迎の運転手さんとも楽しげに会話していて、病院の雰囲気は悪くないんだろうと安心する。

 

車の中で父が私に何か言おうとするので耳を傾けると、

「ヘルパーに、お礼を言いに行かなあかん」

とのことだった。

「もう私から言うといたし、今度電話したらええやん」

と答えたが、父にそういった常識的な意識が残っていることが少しうれしかった。

 

病院に到着してから、書類手続き。

私が書いていると、父は自分で車椅子を動かし、どこかへ行こうとする。

「どこへ行くの?!」

と尋ねると、窓の外を指差す。

また悪い脱走癖が出た。

同意書やレンタルの申込みなど、たくさんの書類に記入しなければならないのに、ちょくちょく、

「お父さんジッとしといて!」

と気にかけないといけない。

普段はサトイモに四六時中「チョロチョロしない!」と声をかけているが、それと同じ。

 

私がうっかりしていると、看護師さんに、

「あらあら、どこいくの?」

と声をかけられる。

「脱走癖があるんです」

と私が言うと、

「じゃあ気を付けなきゃねぇ〜」

とその人は朗らかに言った。

 

書類を書いたあと、医師の診察。

そのあと、ソーシャルワーカーも兼ねている支援員の看護師のヒアリングがあった。

これまでの経緯だとか生活状況など、書類に記入したことと同じことをゼロから説明する。

書類は受付のほうに持っていったのだが、そこから回ってきていない様子。

何のために時間をとって書類を記入したのか、とちょっとだけ批判的な気持ちになる。

効率も悪いし、書いたことと喋ったことが一致しなかったら、その不統一をどう処理するんだろう。

 

とはいえ、案内してくれたスタッフの方たちは皆親切で感じが良いし、新しい病院なので設備もきれい。

病院の窓からは、姫路城が額縁に入った写真のように美しく映える。

「これがね、ここの病院のウリです!」

父は小学校時代から青年期まで、姫路城のすぐ側で暮らしていたので、お城が心の拠り所となるに違いない。

 

平穏死を考える

ヒアリングの中で、退院後の行き先を書く欄があった。

自宅、介護施設、別の病院、その他、の選択肢が提示されている。

「この欄はちょっとまだ書けないです」

と私が言うと、支援員が、

「そうですよね。でも、ご自宅はちょっと難しいでしょう? かといって、鼻から栄養を取っていると介護施設も入れてもらえないし、となると、長期療養ができる病院くらいしか選択肢がなくなってくるんですよね…」

と、同情的に答えた。

となると、姫路で考えられるのは、母が入院していた病院くらいしかないんじゃないか。

あそこで母を亡くしているから、全然気が進まない。

せっかく生き返ったけど、その先の希望がない。

 

最近、「平穏死」という言葉を知った。

安楽死尊厳死とは、ちょっと違う。

歳を取って口から食べられなくなったら、それは自然と死が近いという合図なのだ。

かつて母がお世話になっていたケアマネさんが、「枯れる」という言葉を使っていた。

食べる量が減り、眠る時間が長くなり、静かに息を引き取る。

一年草の草木が、季節が終わると自然と枯れるように。

母もそうあってほしかったのに、病院へ入れて無理やり生きさせてしまった。

 

父はそんな母に対して冷たい態度を取っていたから、今度は父も少し苦しんでもらっても仕方ない。

でも、チューブから栄養を入れて無理やり生かさせる必要はない気がする。

もう寿命なのだ。

 

急性期病院では個室だったけれど、今度は大部屋に入れた。

隣のベッドのおじいさんが、定期的に、

「タースケテクレ!タースケテクレ!」

と叫んでいる。

最初はどうしようか焦ったけれど、看護師たちは、

「はいはい」

という態度だった。

叫んでいるおじいさんは、目も耳も不自由なのだという。

助けてくれと叫ぶくらいなのだから、きっと何か辛いのだろうけど、誰もどうしようもしてあげられない。

この世界は、どうやら医療ばかりが進みすぎた。