奇才サトイモの元気が出る発達日記

発達障害(ADHD&ASD)の疑いがある息子サトイモの子育て日記です。

憂愁の音楽会

サトイモの幼稚園では、2月に音楽会がある。

お正月明けに担任と話したときは、

「音楽会の練習がんばってます。良い意味で目立つことなく過ごせています」

と言われていた。

サトイモの楽器はハンドベル

去年もハンドベルがやりたかったけれど、当時の担任から、「サトイモくんには無理なので〜」と鼻であしらわれ、やらせてもらえなかった。

ハンドベルは1人1音か2音を担当する楽器。

ほかのメンバーとタイミングを合わせなければ演奏できないからだ。

「今年はハンドベルなんだって?!よかったねぇ〜!」

と喜んでいたのもつかの間。

その10日後には、

「音楽会の練習に全く参加できていません。出ていくだけではなく、奇声を上げて走り回ったり、がんばっているお友だちの邪魔をしたりするので、補助の先生に一人ついてもらわないといけない状況です」

と、問題が炸裂していた。

 

よくよく聞くと、こういう事情が見えてきた。

まず、練習に飽きてきたサトイモが練習をサボって脱走するようになる。

音が欠けるとメロディにならないので、担任はサトイモハンドベルを代役の子に担当させた。

サボればサボるほど代役の子が上手くなる。

サトイモがお部屋に戻ってきたとき、代役の子がソツなく演奏し、先生から褒められていたところだった。

その様子を見たサトイモは、黙ってまたクラスのお部屋を出ていってしまったという。

結果、サトイモハンドベルの練習をしなくなり、代役の子が本担当になった。

サトイモハンドベルを降ろされて、担当楽器は鍵盤ハーモニカに変えられた。

サトイモは、希望していない鍵盤ハーモニカにさせられて、練習をがんばれるわけがない。

結局、ますます練習には参加しなくなった。

 

「これ以上練習に参加しなかったら、音楽会には出られないよ」

と担任が言っても、

「そんなこと言っても、どうせ出してくれるでしょ」

と口答えする。

楽譜すら、要らないと言って受け取らなかったらしい。

 

「立つ位置の段取りとか、曲順とか、そういうのも全部覚えないといけないのに、練習に参加できてないので。このままでは本当に音楽会には出られません」

と先生から連絡をもらい、いろいろ考えた。

 

あの手この手

私の作戦は達成表作戦。


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練習に参加したら、担任にスタンプを押してもらう方式だ。

ところが、1日目から、渋々その場に出てきただけで、

「ハイ1回クリア〜」

というサトイモの態度に、

「それは違うよ!」

と担任から表作戦失敗のダメ出しを食らった。

 

「このままだと、本当に音楽会に出られなくなっちゃうよ。サトイモの本当の気持ちはどうなの?音楽会、出たい?出たくない?」

と私が尋ねると、

「出たい」

と答える。

家ではキーボードで練習もしている。

なのに、幼稚園での練習は参加しないのだ。

 

表作戦が失敗したことも振り返る。

サトイモは決して罰では動かない子どもだ。

「練習しないと音楽会には出られません」

→「音楽会に出られないのは嫌だ」

でも、それは決して、

「音楽会に出たいからがんばろう!」

という前向きな気持ちではない。

嫌だから渋々やるのは仕方ない。

 

本来、音楽は楽しいものなのに、なんだか私がウンザリしてきた。

そんな音楽会なら出んでええわ!

という気持ちになる。

 

発達支援教室の先生に相談すると、

「えっ、ハンドベル下ろされてたんですか?あんなにハンドベルになったって喜んでたのに〜!楽器を変えられた時点でサトイモくん心が折れちゃったんでしょうね…。幼稚園の先生も、その時点で相談してもらえたらよかったのに。ここまでこじれると、簡単には音楽会に気持ちが向かないんでしょう」

と一緒に悩んでくれた。

サトイモくんは音楽会で自分の居場所が見つけられないんでしょうね。例えば、曲のタイトルの‘めくり’をやるとか、何かの合図をするとか、特別な役割を与えてもらったら、やる気が出るんでしょうけど」

 

そしてわざわざ、発達支援教室から幼稚園に連絡を取ってくれたらしい。

でも、教室の先生が提案するような役割を採用するのはなかなか難しくて、苦肉の策で、

「この部分、サトイモくんだけ、特別にこの和音を弾かせてあげよう」

ということにしてくれた。

サトイモも、「特別な和音」が気に入って、ようやく練習に参加し始めた。

 

が、音楽会まで、予行演習を含めてあと4日。

果たしてサトイモは音楽会に出られるまでになるのか?!

 

まさかのコロナ

…と言っていた矢先。

2月11日の夜にサトイモが発熱。

翌日から40℃を超える高熱。

13日、私も発熱。

二人して内科を受診したところ、コロナウイルス陽性であることがわかった。

現在も絶賛療養中だけれど、今朝からようやく平熱になったところ。

あんなにスッタモンダした音楽会は欠席だ。

「コロナだから仕方ないね」

という言い訳ができて、よかったような悪かったような。

姫路グルメの思い出

先週土曜日の父は、終始寝ているだけだった。

起こすと、

「起こして」

と言う。

ベッドの頭部分を上げるが、寝ているのでだんだんずり落ちる。

「起きて!」

「起こして」

「もう起こしとうで!」

するとまた寝てしまう。

その繰り返し。

「起きて!」

「起こして。風呂はいるわ」

「家ちゃうで!」

寝ぼけているからなのか、やはりボケてきているのか、やり取りが困難になっていた。

 

前の病院でもそうだったが、手にはミトンのグローブをつけられ、ベッド柵にくくりつけられている。

鼻のチューブを抜こうとしたらしい。

 

前回スマホを持ってきてくれ、というのでスマホを持ってきたし、テレビが使えるようにイヤホンも買ってきたのに、手袋をしていては何もできない。

頭はボケる一方だ。

 

鼻のチューブは必要なのか。

栄養を送り込むより、娯楽のほうが必要なのではないか。

生かされている意味はどこに?

 

カフェオレを飲む

2月10日。

今日行ってみると、病室が変わっているうえ、ベッドに父がいない。

車椅子に乗せられて、ダイニングのような、談話室のようなところにいた。

ガラス戸の向こうには姫路城。

父は座ったまま居眠りをしていた。f:id:naminonamimatsu:20240210121207j:image

看護師さんの話では、少しずつ起きている時間が増え、食事も昼と夜に増え、経鼻栄養は朝だけになったらしい。

とはいえ、何度も何度も起こさないと眠ってしまい、反応が薄く、なかなか会話にならない。

仕方ないので何気なく肩を揉むと、

「痛い!」

と大きな声を出して、パッチリ目覚めた。

そして、自動販売機が目に入ったせいで、

「あそこでコーヒー買うて」

と言う。

 

看護師さんに尋ねると、トロミをつけないと、と言われる。

「トロミがあればいいんですか?」

と尋ねると、看護師さんは医師に確認を取ってくれて、私が買った缶コーヒーを少しだけコップに移し、トロミをつけてくれた。

トロミ、というか、ほとんど固形に近いほどのドロドロになった。

コーヒー味の片栗粉というかんじ。

最初は私がスプーンで何口か食べさせる。

いけそうだったので、その後、父の手袋を外してやり、スプーンを持たせると、猛烈な勢いで食べ終えた。

驚いた。

食べれるやん!!

 

コーヒーはまだまだあるので、看護師さんに、

「もうちょっといいですか?」

と聞いたが、

「もうすぐお昼ご飯ですので」

と断られてしまった。

父も満足したらしく、それ以上は欲しがらなかったので、あきらめた。

 

眠っている様子を見ると、もう死ぬのでは、と思うが、食欲があるということは、生命力があるということだ。

人間はしぶとい。

 

ロケーション抜群

父のリハビリ病院は、姫路駅から徒歩で行ける便利な場所にある。

初めて行ったとき、行きは病院の送迎車に同乗したからわからなかったけれど、病院周辺には姫路の城下町ならではの観光用案内板があることに気付く。

特に、病院は「お夏清十郎」のお夏の生家跡だった。


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「お夏清十郎」は井原西鶴好色五人女』の物語の一つで、姫路が舞台の悲恋の物語。

この前姫路城に行ったときにお菊井戸も見たけど、物語の場所が実際にあるとワクワクする。

 

また、そこからすぐに、老舗中華料理店「東来春」。

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ここでしか食べられないオンリー・ワンのシュウマイで有名な店。

このシュウマイ、決して美味しくない。むしろ不味い。

しかもウスターソースで食べる。

でも、姫路では有名で、皆食べる。


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父の姉であるミッコおばさんは、ここの中華そばが好きだった。彼女は中華そばと言わず支那そばと呼んでいた。

ちょうどランチにシュウマイと中華そばと胡麻団子がセットになったものがあったので、久々に食べてみた。

相変わらずシュウマイは謎の味。

中華そばは、びっくりするほどあっさり。

今どきのラーメンはこってりしすぎて食べるとしんどいけれど、これなら胃もたれせずに食べられる。

お会計をするブースの壁に、お店の人とマッハ文朱が一緒に写っている写真が飾ってある。

私が子供の頃からずっとあるやつ。まだあったことに驚き。

 

東来春の斜め向かいには、かもめ屋。

昔、父方の親戚が「みんなでごちそうを食べに行こう」となると、この店だった。


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海鮮が好きな父の姉ミッコおばさん、肉が好きな父の妹ヒッコおばさん、その双方のニーズを満たしてくれるので重宝していたのだ。

でも、私は一度も連れて行ってもらった記憶がない。

いつか行きたいと思っていたけど、ミッコおばさんはとっくに鬼籍に入ってしまったし、父は食べられないし、ヒッコおばさんも股関節に問題を抱えてて歩けないし、「いつか」はもう叶わない。

 

かもめ屋の門を曲がるとアーケードには、行列のできるトンカツ屋のとんかつ井上。

今日、父に、

「近くに人気のトンカツ屋があるよ。お父さんトンカツ好きだったでしょう?」

と尋ねた。

ところが、今日、好きな食べ物を聞いたら、

「八宝菜」

と言う。

確かに八宝菜も好きだったけどさ!!

もう一度旅行したい国、を尋ねると、「台湾」と言った。

一応起きていれば、一問一答はできる。

 

とんかつ井上の横にはスッポン料理の高級料亭瓢亭。

リニューアルする前、昔父母と3人で瓢亭にスッポン鍋を食べに来たことがある。

家族全員、あれが初めてのスッポン体験だった。

なんだか思い入れのある、姫路西二階町


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この辺りはスイーツのお店もいろいろある。

病院通いが苦にならないというのが、唯一の救いだ。

Hello!リハビリ病院

ソーシャルワーカーからの、転院日のスケジュール説明はこんなかんじだった。

  • 10時半に来て下さい。
  • その後退院の手続きをしてください。
  • 10時50分にリハビリ病院から介護タクシーのお迎えが来ます。
  • 娘さんもその車に乗ってリハビリ病院に行き、入院手続きをして下さい。

 

軽く言ってくれるけれど、1月31日は平日。

朝はサトイモを幼稚園に送っていってから行かねばならない。

前の日、サトイモに丁寧に説明をして、早起きして早めに家を出ることを言い聞かせた。

「絶対に遅刻できないんだからね!」

その甲斐あって、予定どおりに段取りが進み、10時25分には病院到着。

 

ところが。

こちらが必死で10時半に間に合わせたにもかかわらず、病棟に到着してもしばらく待たされる。

「お待ち下さい」と言ったまま、誰も出てこない。

10時40分になってもまだ誰も来ないので、

「50分に転院先の病院からお迎えが来るはずなんですが、それまでにこちらの退院手続きを済ませる予定で来てるんです。間に合いますか?」

と焦って問い合わせた。

 

病院は平気で人を待たせる。

医者が別の患者を診ていて待たさせる、というのなら理解するけれど、事務的な手続きくらい、約束通り時間守ってくれよ。

 

その後、リハビリ病院のお迎えも20分ほど遅れた。

私は一人、待合室で待たされた。

だったら、せめて父に面会させてくれよ。

「着替えをさせたり、持ち物をまとめたりしなくていいんですか?」

「全部こちらでしますので、大丈夫ですよ」

まあ、やってくれるというなら任せるしかないけど…。

 

ようやくお迎えが来て(渋滞が原因らしい)、病室から車椅子に乗った父が出てきた。

病院のレンタルパジャマから私服に着替えてはいる、が…。

土曜日に私が着替えとして持参したのは、アンダーシャツ、襟付きシャツ、セーター、ダウンジャケット、ズボン下とズボン。

靴下と靴は新品を購入して、だいぶ前に持って行っている。

なのに、車椅子で登場した父は、襟付きシャツは着ておらず、ダウンも肩からグシャグシャに羽織った状態。

しかも、靴下なしで靴を履かされていた。

 

襟付きシャツは丸めて手提げに入っていたし、靴下は新品のままタグも取られていなかった。

リハビリに靴と靴下が必要だと言われて慌てて購入して用意し、

「靴も靴下も買って用意ししたんですけど、サイズ大丈夫でしたか?」

と聞いたら、看護師は、

「大丈夫でしたよ」

と返事していたのに…。

 

病院が言う「大丈夫」とか「こちらでやります」とかが、どこまで信用できるものなのか、ちょっと半信半疑になる。

もうここの病院は退院するけど、次の病院だって同じようなものかもしれない。

 

脱走癖再発

リハビリ病院からお迎えに来てくれたのは、看護部長さん。

明るくて楽しい「おばちゃん」キャラで、親しみが持てる。

送迎の運転手さんとも楽しげに会話していて、病院の雰囲気は悪くないんだろうと安心する。

 

車の中で父が私に何か言おうとするので耳を傾けると、

「ヘルパーに、お礼を言いに行かなあかん」

とのことだった。

「もう私から言うといたし、今度電話したらええやん」

と答えたが、父にそういった常識的な意識が残っていることが少しうれしかった。

 

病院に到着してから、書類手続き。

私が書いていると、父は自分で車椅子を動かし、どこかへ行こうとする。

「どこへ行くの?!」

と尋ねると、窓の外を指差す。

また悪い脱走癖が出た。

同意書やレンタルの申込みなど、たくさんの書類に記入しなければならないのに、ちょくちょく、

「お父さんジッとしといて!」

と気にかけないといけない。

普段はサトイモに四六時中「チョロチョロしない!」と声をかけているが、それと同じ。

 

私がうっかりしていると、看護師さんに、

「あらあら、どこいくの?」

と声をかけられる。

「脱走癖があるんです」

と私が言うと、

「じゃあ気を付けなきゃねぇ〜」

とその人は朗らかに言った。

 

書類を書いたあと、医師の診察。

そのあと、ソーシャルワーカーも兼ねている支援員の看護師のヒアリングがあった。

これまでの経緯だとか生活状況など、書類に記入したことと同じことをゼロから説明する。

書類は受付のほうに持っていったのだが、そこから回ってきていない様子。

何のために時間をとって書類を記入したのか、とちょっとだけ批判的な気持ちになる。

効率も悪いし、書いたことと喋ったことが一致しなかったら、その不統一をどう処理するんだろう。

 

とはいえ、案内してくれたスタッフの方たちは皆親切で感じが良いし、新しい病院なので設備もきれい。

病院の窓からは、姫路城が額縁に入った写真のように美しく映える。

「これがね、ここの病院のウリです!」

父は小学校時代から青年期まで、姫路城のすぐ側で暮らしていたので、お城が心の拠り所となるに違いない。

 

平穏死を考える

ヒアリングの中で、退院後の行き先を書く欄があった。

自宅、介護施設、別の病院、その他、の選択肢が提示されている。

「この欄はちょっとまだ書けないです」

と私が言うと、支援員が、

「そうですよね。でも、ご自宅はちょっと難しいでしょう? かといって、鼻から栄養を取っていると介護施設も入れてもらえないし、となると、長期療養ができる病院くらいしか選択肢がなくなってくるんですよね…」

と、同情的に答えた。

となると、姫路で考えられるのは、母が入院していた病院くらいしかないんじゃないか。

あそこで母を亡くしているから、全然気が進まない。

せっかく生き返ったけど、その先の希望がない。

 

最近、「平穏死」という言葉を知った。

安楽死尊厳死とは、ちょっと違う。

歳を取って口から食べられなくなったら、それは自然と死が近いという合図なのだ。

かつて母がお世話になっていたケアマネさんが、「枯れる」という言葉を使っていた。

食べる量が減り、眠る時間が長くなり、静かに息を引き取る。

一年草の草木が、季節が終わると自然と枯れるように。

母もそうあってほしかったのに、病院へ入れて無理やり生きさせてしまった。

 

父はそんな母に対して冷たい態度を取っていたから、今度は父も少し苦しんでもらっても仕方ない。

でも、チューブから栄養を入れて無理やり生かさせる必要はない気がする。

もう寿命なのだ。

 

急性期病院では個室だったけれど、今度は大部屋に入れた。

隣のベッドのおじいさんが、定期的に、

「タースケテクレ!タースケテクレ!」

と叫んでいる。

最初はどうしようか焦ったけれど、看護師たちは、

「はいはい」

という態度だった。

叫んでいるおじいさんは、目も耳も不自由なのだという。

助けてくれと叫ぶくらいなのだから、きっと何か辛いのだろうけど、誰もどうしようもしてあげられない。

この世界は、どうやら医療ばかりが進みすぎた。

さらば急性期病院

何度か父の病院から電話がかかってきた。

その都度、父の状態が急変したのではないかとハラハラしながら電話に出る。

だが、実際はほぼ逆のことが多かった。

 

医師からの電話は、
「嚥下が難しくひどくむせます。食べると肺炎のリスクがあります。肺炎が命取りになります。リスクをとっても食べさせますか? 安全策を取るなら、鼻から栄養を入れるだけにして食べさせないこともできますがどうしますか?」
という意向に関する問い合わせ。
飲食の楽しみを奪われて長生きする意味がない、と父は思うだろうから、リスクを取っても食べさせてやってくださいとお願いする。

 

看護師からは、
「1月27日土曜日に一般病棟に移ります。個室しか空いてないので、料金がかかりますがご了承いただけますか」
という事務的な問い合わせ。
空いてないならしょうがない。
嫌だといったらどうしたのだろう?
(あとから知ったのだが、個室料金は一泊13,600円!最初に金額を言われていたら断っていたと思う。事後承諾とかひどいよ!)

 

そして、ソーシャルワーカーからは、転院に関する連絡。
救急車で運ばれた病院は急性期病院といって、救命して落ち着いたら出ていくように言われる。
そして次はリハビリができる病院へ。
そのリハビリ病院も、2ヶ月しか置いてもらえない。
その後は家に帰るか、また別の転院先や介護施設を見つけるしかない。
その流れは、母のときに経験済みだ。

 

ソーシャルワーカーから、嚥下のリハビリができる病院を3つ、提案してもらう。
私の通いやすさなどを考えて、希望順を伝えた。

 

転院日決定

しばらくしてから、第一希望の病院が受け入れてくれることになった、という連絡があった。

ちなみに、第二希望・第三希望の病院からは断られたそうだ。
結果オーライ。

 

「転院日は1月31日ですので、10時半に来ていただけますか?」
「えっ、それ、決め打ちですか?」
「受け入れ先の病院の都合ですので、変えられないんです」

もちろん、父一人で転院できるわけがなく、今の病院の退院手続き、次の病院の入院手続きは私がしなければならない。
にしても、なんで月末なんだよぅ…。

 

「どうしてもその日なんですね?」
「もしどうしても31日が無理なら、2月1日でも」
「それも月初なんで一緒です…」

忙しい時期の忙しい日に休まないといけない。
31日はサトイモの幼稚園の個別懇談の日だったのだけど、日を変えてもらうしかない。
懇談日を変更してもらっても、またその日も職場を休まないといけない。

効率化と人件費削減のために職場はいつもギリギリの人数とギリギリの時間で回っている。
もう仕事なんてやってられないな、としみじみ思う。

 

着の身着のまま

ソーシャルワーカーから、転院に際しての持ち物を教えてもらう。

  • 保険証
  • 印鑑
  • 着替えの服

何しろ、救急車で運ばれたとき、父は下着姿だったので、服を着ていなかった。
病院ではレンタルのパジャマを着させてもらっているからよかったけど、転院で移動するときには自前の服がいる。

土曜日、実家に帰り、服を取ってくることにした。
この日、中学時代からの親友と会う約束をしていたので、親友に駅から私の実家まで車で送ってもらえないか、頼むことにした。
荷物が山盛りになるから、送ってもらって本当に助かった。
親友には、母のお通夜の日にサトイモを預かってもらった。
サトイモは親友のことが大好き。
なので、この日はサトイモも連れていった。

人に頼ってばかりだけど、おかげで友人と久しぶりの楽しい時間を過ごすこともできた。

何事も、禍福はあざなえる縄のごとし。


元気が減っている

親友と別れてから、服を持って父のお見舞いへ。
子どもは面会できないので、サトイモは病棟の前で待っていてもらう。
普段は絶対触らせない私のスマホを渡し、ゲームをやらせていたら、サトイモは何分でも平気で待てる。

一般病棟の、ホテルのようなキレイな個室で、父は大相撲中継を見ていた。
9階にあるので、遠くに姫路城が見える。
眺めがいいので、写真を撮っておこうと思ったが、そういえばサトイモスマホを渡していたのだった。残念。

父との会話はちぐはぐだった。
目覚めて以降、だんだん元気を失っているように感じる。
病院で寝てばかりの日々で、どんどん頭にモヤがかかってくるのだろう。


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この日、父を救急搬送してくれた消防署宛に、お礼の手紙を書いて投函した。
サトイモにも書いてもらった。
文面もサトイモが考えたものだが、
「みんなにかんしゃです」という一文を書いたことに驚いた。

父もちゃんとそう思っているだろうか。

ママのせいだよ!!

今日も父を見舞いに行ってきた。

昨日と違い父は眠っていて、起こすと、

「ポカリ持ってきたか?」

と言う。

「飲まれへんやろ」

と答えると、またウトウトしてしまった。

その繰り返し。

 

看護師さんに聞くと、今日は車椅子に乗って少し外を散歩したそうだ。

昨日持ってきた新しい靴と靴下のサイズはちょうど合っていたらしい。よかったよかった。

ベッドから車椅子に移動するとき、その靴をはいてつかまり立ちをしたが、しっかり立てていたとのこと。

ただ、看護師が、

「今何月かわかりますか?」

と尋ねると、

「7月」

と言い、季節は「夏」だと答えたらしい。

「冬ですよ、みんなコートを着ているでしょう?」

と教えてくれたそうだが、私が同じ質問をしても、やはり7月で夏だと言っていた。

このままボケてしまうかもしれない。

テレビは見ようとしたのかたまたまなのか、『七つの大罪 黙示録の四騎士』がついていた。

 

自慢の父

私が父について評価している数少ない点の一つに、アニメをバカにせずに見る、ということがある。

7、8年前、父が80歳頃の話だが、私がテレビで録画した『ドラゴンボールZ 復活のF』を見ていたとき、画面を覗き込んだ父が、飛んでいるフリーザ軍のザコキャラだけを見て、

ドラゴンボール見とんか」

とつぶやいたことがあった。

「このシーンだけ見てなんでわかったん?!」

と私が驚くと、

「なんでって、ドラゴンボールやろ?」

と平然と言った。

ドラゴンボールを観ている30代後半の娘もたいがいだが、それがわかる80歳の親父もたいがいだ。

 

七つの大罪』は最初のシリーズだけしか見ていない。

余裕が出てきたら、続きを見てみようかと思った。

 

状況を楽しむ

わざわざ姫路まで行くのに病院の往復だけだと虚しくなるので、心配して連絡してくれる友達たちには、お茶でもしよう、と甘えている。

今日は第一弾。

ゆっくりおしゃべりして楽しかった。

父のおかげで、サトイモから離れてのんびりさせてもらっている。

 

父、というより、おかげというなら夫のおかげなのだが。

年末からこっち、休みの日はほとんど、サトイモの世話は夫にお任せしている。

サトイモは、私が言ってもきかないことでも、夫の言うことならきいてくれる。

「ママがいいよぅ〜!」

とダダをこねることもあるけれど、無理やり引き剥がして夫に預ける。

コブが取れたこぶとり爺さんみたいにスッキリした気分。

 

最近サトイモはちょっと気に入らないことがあるとすぐに、

「ママのせいだよ!!」

と怒る。

あまりに腹が立つので、

「そんなふうにママのせいにされるんやったら、もうサトイモの世話はせんわ。一人でやるか、パパにやってもらって」

とネグレクトしている。

あまり効果はないけれど、「ママのせい!」の対処法がまだ見当たらない。

 

最も「ママのせい」を感じるのは、幼児教室だ。

私が付き添いをしていたときは、大暴れして授業にならなかった。

ところが、曜日を土曜日に変えてもらって、付き添いがパパになってからは、サトイモは大人しく授業を受けているらしい。

昨日も、宿題のプリントを一気に18枚もやっつけて、授業中も良い子だったという。

 

一体何が違うんだ…。

夫は私の対処法が悪いと言う。

そーですか、と拗ねる気持ち半分、これ幸いと夫に押し付けられてシメシメという気持ち半分。

 

今日ももう終わり。

とうとう、昨日落としたイヤリングは見つからなかった。


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写真は失くなくならなかった方のイヤリングと、まねきのえきそばの看板。

父は電車に乗ると、必ず姫路駅でえきそばを食べていた。

きっと今でも食べたいだろう。

ゾンビ的傾向

これまでのまとめ。

1/11木曜日

父が倒れているのが発見され、救急搬送。一時心肺停止になるものの、救急隊員の蘇生処置と努力によって心臓が動き出す。でも、意識は戻らない可能性が高いとのこと。

 

1/12金曜日

お見舞いに行くと、父が目覚めていた。意思疎通もできる。医師も看護師もビックリ。

カテーテルが入って、尿は管から排出されているのだが、尿意があるらしく、必死でトイレを訴える。

看護師によると、最初はそういうものらしい。

だんだんカテーテルが認識できてくると、大丈夫だとわかるようになるそうだ。

尿意があるのにトイレを我慢しているかんじが続くというのも、なかなか気の毒だ。

 

1/13土曜日

意識不明なのと、意識があって起き上がるのとでは、入院生活に必要なものが変わってくる。

それで実家から、

  • 入れ歯
  • メガネ
  • 補聴器

の3点を取ってくる。

ついでに父のスマホと充電器も。

病院では父は相変わらずICUだったが、昨日までの個室ではなくオープンな場所に移動していた。

 

昨日、

「退屈?」

と尋ねると、うんうん、と頷いていた。

すると病院スタッフが、

「テレビを頼んでみましょうか? 一般病棟やったら普通にテレビがあるんですけど、ここにはないんですよ。ICUで退屈する患者さんってあんまりいないんで」

と笑いながら言っていた。

そりゃそうだ。

ほかの人はほとんどが意識不明で寝ているのだから。

 

さっそく今日からテレビを手配してくれたらしく、父は大学ラグビーの試合を見ていた。

鼻にはまだ管が入っていたが、口の酸素チューブは外れていた。

「テレビつけてもろたん。よかったねぇ」

と私が言うと、

「明治が負けとんや」

と父は言った。

心肺停止から復活した父の、私が聞いた第一声がそれだった。

もっと言うことがあるでしょうが!

とは思うけれども、まあ、うちの父はそんなもんだ。死ぬまでそういう人。

 

「メガネと補聴器持ってきたよ。でも、メガネがなくてもテレビ見えとんやね?」

「うん」

「補聴器は?つけたほうがいい?」

と私が父の耳に補聴器をつける。

「うん」

と父。

電源が入っているのかどうかよくわからず、

「使い方あってる?着けたらよう聞こえるようになった?」

と尋ねると、ぼーっとした顔で、

「うん」

と言う。

でも、耳にまで這わせてある酸素チューブの管が邪魔になって、補聴器がしっかりと装着できない。

「補聴器あったほうがいい?ないほうがいい?どっち?」

と尋ねると、

「うん」

とアホのように返事をする。

「なんや、どっちなんよ?」

「うん」

「ボケとん?」

「うん」

そのやり取りを聞いていた看護師さんが、

「まだボンヤリされてるんだと思いますよ」

とフォローしてくれる。

ついつい、目覚めたら以前と同じように考えてしまったが、まだまだICUの病人なのだ。

 

1/14日曜日

家族3人でお見舞いに行く。

お見舞いだけに姫路に行くのはもったいないので、姫路城に遊びに行った。

天守閣にまで登ったのは何年ぶりだろうか。


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サトイモは迷路のようなお城内部に興奮して走り回り、急勾配の階段に、

「これは子どもに優しくない階段だよ〜!」

と叫んでいた。

三の丸広場やお堀周辺にボランティア鎧武者がちらほらいて、観光客と記念写真を撮っている。

ぜひ撮ってもらえばいいのに、サトイモは鎧武者を怖がって逃げていた。

小学生の子ども武者がいて、唯一その子は怖がることなく写真を撮ってもらった。

その子は薙刀の振り方についても武者スタイルについても、自分の考えでやっているという。

子どもながらたいしたもんだ。

 

父に会いに行くと、なんと車椅子に乗っていた。

看護師に押してもらって待合まで出て来れたので、サトイモとも会うことができた。

父は、お腹が空いたので何か食べたい、風呂に入りたい、と要求を述べていた。

あれこれしたいと要求があるのは悪いことではない。

 

1/19金曜日

病院から電話があってドキドキしながら出たが、食事についての報告だけです、というのでホッとした。

嚥下が難しく、流動食のようなものでもむせてしまうという。

「一旦心臓が止まってたんで、いろいろ機能が弱ってるんです」

心臓って、やっぱり一番大事なんだなぁ…。

「ご自宅に帰られるのはちょっと難しいと思うので、ソーシャルワーカーから今後の転院について、またご相談させてもらいます」

母のときもそんなかんじだったので、そうだろうなと思う程度。

胃瘻をするかどうか、意向を聞かれるのかと思った。

いずれ尋ねられるだろうけど。

 

1/20土曜日

前回、看護師から、

  • 靴下
  • マスク

を持ってきてほしい、と言われていたので、購入して持って行く。

1/16に、ICUからHCUという病棟に移っていた。

今日は熱が出ているらしく、車椅子には乗れずに寝ていた。

ポカリスエットを持ってきてくれ。のどが渇いたから、冷たい飲み物が飲みたいんや」

「でもなお父さん。うまく飲み込むことができへんらしいやん。間違ったら肺炎になるんやで」

「医者もそういうんやけどな、どうもない、大丈夫や」

「大丈夫なことないやろ」

そのやり取りを何回か繰り返した。

とにかく、飲みたいのに飲ませてもらえず、食べたいのに弁当も出ない、と文句を言う。

食べたいのに食べさせてもらえないから、テレビでクッキング番組ばかり見ているのだと言った。

 

腕は点滴や注射のあとだらけで、点滴は痛いのだそうだ。

若い頃は、

「点滴や注射の何が痛いんや。元気になるからなんぼでもしてくれ」

と言っていた父が、老人になって痛がるなんて皮肉なものだ。

 

紙コップに、とろみをつけた水が入っており、スプーンが差してあった。

「これで水を飲ましてもろとん?」

と聞くと、父がそうやと言うので、スプーンを父の口に運ぶと美味しそうに食べる。

「ほんまにええんかな?」

「かまへん」

数口食べたところで、父が苦しそうにむせる。

ナースコールをするべきかどうか迷うレベル。

「ほらやっぱりあかんやん!」

「いや、どないもない」

「さっき!!死にかけてたやん!!」

「大丈夫や」

私もアホなので、懲りずにまた水を与え、数口くらいでまたむせた。

3回繰り返す。

そりゃあ病院側は怖くて食べさせられないだろう。

「次来るときはポカリスエット買うて持ってきてくれ」

心肺停止のせいか、以前からこうだったのか。

 

病院からの帰り道、昨年末にボーナスで買ったばかりのイヤリングを落とし、茫然自失。

往復して探したけれど見つからず。

でも、明日、もう一度探したら出てくる気がする。

望みは捨てない。

名探偵登場!

一昨日父が救急搬送された日、病院を出てからサトイモと実家へ行った。

「物が散乱してるのでビックリされるかもしれません」

とヘルパーさんが言うので、片付けないとと思ったのだ。

あと、新聞やコープの宅配を止めるなど、生活上のあれこれもある。

 

まず、玄関の鍵が開いていたのと、電気がついていたのでビックリした。

「もしかして泥棒がいたらどうしよう?!」

と私が玄関先でビビっていると、

「じゃあボクが見てくる〜!」

サトイモはズカズカと入っていく。

「待って待って!怖いって!」

「ママがいるから大丈夫!」

「そのママがビビってんのに、何が大丈夫だよ!!」

 

結果何事もなかったし、ヘルパーさんがいうほどひどい状態ではなかった。

冷蔵庫前にペットボトルなどの物が落ちていた程度。

ただ、階段の下、洗面所からキッチンの冷蔵庫前にかけて、床や壁が血だらけになっていた。

 

「ちょっと待って!ここに血がついていて、ポカリスエットがここに落ちているってことは…、わかった!じいじはここで犯人に殴られたんだ!」

サトイモがあちこち指を指しながら、真剣な顔で演説を始めた。

おいおい…。

最近『名探偵コナン』を初めて見たのでその影響なのか、ときどき見ている『おしりたんてい』の影響なのか。

「犯人なんていないんだよ〜。じいじが自分で倒れたのよ〜」

と言いながら、サトイモと一緒に、血の汚れを掃除した。

マイペットを吹きかけてこすると、血は意外と簡単に落ちたが、3枚くらいタオルを使った。

どうせ父が使っていたタオルは全部捨てることになるのだから、雑巾として大盤振る舞いする。

 

When、Where、Why、How

とはいえ、父がいつ、どこで、なぜ倒れたのかは謎だ。

最も血で汚れているのは、洗面所を出たあたり、階段の下からキッチンへ通じる廊下だ。

下着姿で倒れていたから、お風呂から上がったあとでキッチンへ向かう途中でひっくり返ったのかも。

だとしたら、夜に倒れたことになる。

そして、ヒートショックによる脳血管の疾患の可能性が出てくる。

「わかった!じいじはお風呂から上がって倒れたんだよ。だって身体が濡れてると、すべりやすいでしょ!そうに違いないよ!!」

またもや名探偵が推理する。

 

でも、階段の下に流血が多いから、朝起きてくる途中、階段から落ちたのかもしれない。

それなら、朝に倒れた可能性もある。

そして、原因は疾患ではなく単なる転倒だ。

 

発見してくれたヘルパーさんの話では、父はキッキンの食器棚の横で倒れていたらしい。

転倒したあと、父は自力では立ち上がれない。

それでもなんとか自力で這ってキッキンまで移動してきたのか。

でもなぜキッキンに?

本人に聞くことができないから、これは永遠の謎になってしまった。

 

謎が解き明かされる?!

奇跡的に意識を取り戻した父。

ということは、脳に障害が起きていない、つまり脳梗塞などが原因で倒れたのではないとわかる。

 

心肺停止になると、脳に血液がいかなくなり、意識障害が起きるらしい。

ところが、低体温症で身体が冷たくなっていたことが幸いして、脳がダメージを受けなかったのかもしれない、というようなことを、雑談で医者が言った。

 

呼びかけると本人はしゃべりたそうにしていたが、酸素がまだ足りないので口に酸素チューブが入っており、話すことはできない。

それでも、問いかけには答えてくれた。

「お風呂に入ったん?」

うん、とうなづく。

「上がってきてからコケたん?」

うん。

「階段から落ちたん?」

ううん、と横に振る。

「夜にコケたん?」

うん。

「ひっくり返ってから起き上がれんかったん?」

うん。

サトイモの手紙に返事書いたん?」

うん。

「投函した?」

ううん。

「探したけど見つからんかったわ。どこに置いたん?」

モゴモゴ。

「ごめんごめん、また管が抜けてから聞くわ」

 

サトイモの手紙

サトイモの手紙というのが、これ。


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先週、サトイモが突然手紙を書き出したので、郵便で送った。

救急搬送された前日の昼間、父からメールが届いた。


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お正月にサトイモが、

「じいじも一緒に初詣に行こうよ~、シニアカーに乗って行こうよ〜」

と誘ったけれど、父は、

「いいや、いかへん」

と断った。

父なりに、それを気にしていたようだ。

 

そして、返事を書いた場合らしいけれど、それが見つからない。

今度、名探偵サトイモに捜査をお願いしないと。

もし父が死んでいたら、これが最後のメール、最後の手紙になるところだった。

 

最愛の孫から手紙が来て、愉しい気持ちで死んでいったのなら、それもよかったのかなとも思うけれど、まあ、生きちゃったからね。