昨日サトイモは小学校を早退。飲まず食わずで出て行ったから、お昼まで元気がもたなかったのかもしれない。
ちょうどいい機会なので、学校に迎えに行くときチューリップの鉢植えを持っていった。
このチューリップは、本来なら1年生の秋に生活の授業として植えるものだった。サトイモは2学期まるまる学校に行かなかったので、担任の先生が球根を家に持ってきてくれたのだ。
みんなよりずいぶん遅く植えたチューリップの球根。
あまり日当りのよくないベランダだからヒョロヒョロだけれど、ちゃんと花を咲かせた。
「機会があれば学校に持ってきてください」
と前の担任に言われていたので、2年になったら持参しようと思っていた。

先週早退したときは保健室だったけれど、昨日は教室までお迎えに行った。
担任の先生とは初めましての挨拶。明るく温かい雰囲気の先生。4月中に参観日も家庭訪問もあるけれど、それより一足先に先生に会えて得した気分。
休み時間なのかほかの子たちも一緒に出てきて、私とサトイモとチューリップを囲んだ。
サトイモは鉢を自分で並べて帰る、と言って嬉しそうにチューリップの鉢植えを持って教室をあとにした。
なぜ早退するのか謎なくらい元気いっぱいだった。
ほかの子はどう思っているんだろうか。
もうひとつのヘルプコール
今日はお迎えの連絡もなく、サトイモは丸1日学校で過ごせた。
いつ学校から電話がかかってくるか待ち構えてスマホを手元に置いていたら、やっぱり電話。
でも、それは学校ではなくて、私の元職場からだった。
短時間でもいいからパートに来てもらえないか、という打診。
人がバンバン辞めるし、休職するし、高齢化するし、とにかく人手不足で大変らしい。
残っている人は毎日毎日残業しても追いつかない、と嘆いていた。
話を聞いていると気の毒で、こんな私でも助けになるなら行きましょうか、と情にほだされそうになる。
四半世紀勤めた会社なので、かつての同僚の悲鳴には同情しかない。
Noストレス、Noライフ?
正直、私は今、人生で最もストレスがない生活を送っている。
学生時代は勉強や進学や将来の不安、恋愛関係のストレス、自分という存在の哲学的命題。
就職すれば、業務や人間関係のストレス。
加えて、母が難病になり、介護の苦労。病気と死への恐怖。
一人暮らしになった父への不安。介護ヘルパーによる窃盗事件。
子どもができたらできたで、育てにくさを感じる必死の子育て。
復職後の仕事は、子育てや家事との両立の困難さ。
そして去年は子どもが暴れるわ、不登校になるわ…。
それが今はどうだろう。
仕事を辞めてストレスは消え、両親の没後は介護の心配も消失。
退職後の失業手当などの手続きや相続手続き等のバタバタも、ようやく終わった。
去年大荒れだったサトイモの状況も落ち着いてきて、まだ数日だけど今は一応学校にも行けている。
こんなすばらしい毎日を送っているというのに、再びパートに出てまたストレスを抱えこめって?
今日だって、サトイモが学校に行っている間にNetflixで『PLUTO』を大興奮しながら観て幸せを噛みしめていたのに、パートに出たらこの大切な時間を失ってしまうじゃないか。
不登校児の母の仕事
去年サトイモが学校に行けなくなったとき、仕事を辞めていて本当に良かった、と思った。
でも一方で、私が家にいるからサトイモが甘えて学校に行かないのでは?とも思った。
不登校問題を考えるとき、家の居心地の良さについて意見が分かれるように思う。
「家の居心地が良すぎるから家から出られなくなるのだ」と批判する人もいれば、「学校が居心地が悪いのに家まで居心地が悪くなったら、子どもの精神的な安全基地が失われる」という専門家もいる。
また、親が子どもに向き合いすぎて疲弊するより、割り切って仕事に出かけて、自分の人生を生きる姿を子どもに見せるほうがよい、という話もある一方、子どもが求めている間はたっぷりと寄り添ってあげたほうがよい、という意見もある。
どれも納得するし、どれも正しい。
正解はどれ???
結局、自分がどの説を支持し、選択するかだけなんだろう。
いつだったかサトイモに、
「ボクは学校に行ってるし、お父さんは会社に行ってる。お母さんだけ家にいてズルい!」
と言われたことがあって、正直カチンと来た。
「また仕事に行ってもええんやで。お母さんに仕事にいってほしい?」
と言うと、サトイモはいいや、と首を振った。
「学校に行かず家にいたって、お母さんは一緒に遊んでやらないぞ!」
それを思い知らせるために、パートに出るほうがいいのかも、と考えたりする。
でも、そうしたらまたサトイモは荒れるかもしれない。
逆に不登校が長引く可能性もあるし、私が不在中に暴れて、家財を破壊するかもしれない。
杞憂に過ぎないけど、考えることは尽きない。