サトイモは毎日学校に行っている。
奇跡。
しかも、帰ってきたらすぐに自分学習を済ます。
信じられない。
いまどきの学校は、「宿題」と言わずに「自分学習」と呼んでいるのだけど、呼び方が違うだけで宿題である。
唯一、自分学習らしいところは、指示された課題のほか、何でもいいから自分で好きな学習を1ページやりましょう、ということだけ。
これまで、サトイモはそのジブガクを一切やらなかったのだが、三学期からはそれも率先してやるようになった。
漢字の部首一覧、九九の九の段のおもしろ法則、立方体の展開図一覧、マイクラの鉱石一覧、などなど。
どうせ三日坊主だろうと思っていたけれど、まだ続いている。
なぜだ?!
何があったんだろう?!
逃亡癖は治らない
家では優等生になったサトイモなのに、学校では相変わらず問題行動をする問題児。
何かの拍子に逃げ出し、先生たちに追いかけられ、さらに逃走、なかなか教室に戻れない、ということが続いている。
サトイモの主張は、
「先生が追いかけてくるから逃げなきゃ。追いかけられたら怖いから」
というものだ。
自分が、追いかけられるような行動をしていた、という自覚がないので、
「突然追いかけてくる先生は怖い」
となっている。
「あんたが逃げるから追いかけられるんでしょ!」
「でも逃げないと捕まっちゃう!」
「捕まったらどうなると思ってるの?」
「捕まったら、どっか怖いとこに連れて行かれる」
「怖いとこってどこよ?」
「わかんない。職員室の奥に連れて行かれる」
「職員室の奥て、校長室があるだけやんか」
「校長室に閉じ込められる」
「んなわけあるか!自分の教室に連れ戻されるだけや!」
このやり取りを何回か繰り返した。
やれやれ。
『ぼのぼの』に、しまっちゃうおじさんというキャラクターがいる。
ぼのぼのを石室の中に閉じ込めて「しまっちゃう」おじさんだ。
でも、しまっちゃうおじさんは実在しない。
ぼのぼのの空想の産物だ。
サトイモも、しまっちゃうおじさんがいると空想しているんだろうか。
しかも校長室に。
赤ちゃん先生ショック
近年の学校には「赤ちゃん先生」という授業がある。
本当に赤ちゃんが学校に来るのだ。
少子化で子どもが少なくなって、赤ちゃんと触れ合う機会がなくなっているから、「赤ちゃんってかわいいね」「ボク私も将来自分の赤ちゃんが欲しいなぁ」という気持ちを植え付ける政府の作戦だ(と、私は思っている)。
先日、サトイモの学校で赤ちゃん先生の授業があり、サトイモは前日からとても楽しみにしていた。
うれしくて興奮したせいか、サトイモは授業開始直前に、落ち着かず走り回ってしまった。
先生たちは、赤ちゃんに何かあってはいけないと、サトイモを捕まえて、手を握って離さなかったらしい。
捕まえられたと被害者意識があるサトイモは、手を振り切って逃げようとする。
また追いかけられて捕まえられる。
ほとんど取っ組み合いくらいまでいったそうだ。
鬼ごっこをしていたせいで、赤ちゃん先生も受けられず、サトイモも先生も給食さえ食べられなかったそうだ。
サトイモは自業自得だけれど、昼食抜きになってしまった担任の先生には、本当に申し訳ない。
今までサトイモに寛容だった担任の先生だけれど、今回はさすがに、
「今後、高学年になって体力がついてきたときに、まだこれが続いていたら、ちょっと⋯」
と悲観的な意見が出た。
ほんますんません⋯。
対策はクラスのみんな
サトイモと私で、今後どうすればこういう事態を防げるのか話し合った。
話を進めていくと、恐るべきことにぶち当たった。
サトイモは、
「学校でどうすればいいのかわからない」
と言った。
「だって、体育館や運動場は走り回っていい場所でしょ?」
「時と場合によるやんか」
「それがわからない」
サトイモは、自分で判断がつかないという。
「わかった!ほかの子がどうしてるか見てごらん。クラスの2/3がやってることが正解。同じことしとき。サトイモが怒られたとき、ほかの子は何をしてるか、考えたことある?どうしてるか、見たことある?」
「ない。そんなん、考えたことなかった!」
サトイモは、自分以外の子が何をしているのか、全く気にしたことがなかったらしい。
学校生活で、自分の思い込みだけで勝手な行動をしていたら、そりゃ怒られるに決まっている。
「困ったらとにかく、かずくんやあきくんを見てみて。で、マネして。かずくんが座ってたら座って。立ってたら立ってて。走ってたら走って」
サトイモはとりあえず、
「わかった、これからそうしてみる」
と答えてくれた。
常識外れのさらに外
私自身、
「人と同じことしてもつまらないよね。違うことするほうがカッコイイよね」
「他人が何をしようと、自分が何をしたいかが大事」
という価値観の持ち主だ。
長い物に巻かれるのは恥ずかしいこと、とも思う。
なのでサトイモにも、人のマネをするなと言ってきたかもしれない。
今でもそれは価値観としては間違ってないと思う。
けど、サトイモはそれ以前の段階。
他人という物差しすら見えていない。
⋯そんな人間がいるとは、私は全く考えもしなかった。
私こそ、常識にとらわれすぎだったというわけ。
反省。
