私の記憶に、こんなのがある。
幼稚園時代、幼なじみのヒロミちゃんがやってきて、私にこんなことを言った。
「小学校に入ったら、パパママじゃなくて、お父さんお母さんって言わなあかんらしいで」
たったそれだけ。
なぜそんなことを覚えているのか。
たぶん、その時点ですでに、周囲でパパママと呼んでいるのはヒロミちゃんくらいだったからだろう。
3歳くらいまでは私もパパママと呼んでいたそうだが、幼稚園ですでにお父さんお母さんに切り替わっていた。
さて、サトイモ。
ついこの間までパパママと呼んでいたが、夫が、
「もう小学生なんやし、そろそろお父さんお母さんって呼んでもええんちゃうか」
と言い出して、2月に入ってからサトイモはお父さんお母さんと呼ぶようになった。
そういうのは素直に受け入れるサトイモ。
まだ過渡期というか、混在することもあるけれど、だいぶ定着しつつある。
親同士で結婚している日本
もともと結婚したくない派、子どもはいらない派だった私の、一番嫌なことは、パートナーを「お父さん」「お母さん」「パパ」「ママ」と呼び合うことだった。
『ガラスの仮面』の劇中劇のセリフで、
「どうして妹と結婚しちゃいけねぇんだ。うちは親同士で結婚してるぞ」
というジョークがあるけれど、それが冗談になるのは、日本の家庭の多くがお父さんお母さんと呼び合うからだと思う。
でも、夫は私の父ではないし、私は夫の母ではない。
子どもができたってそんな風に呼ぶものか、と意地でもそう思っている。
今のところ、私も夫も名前で呼んでいるので、その牙城は守られているけれど、サトイモと話をしているとつい、
「お父さんに聞いてみたら?」
などと夫のことを「お父さん」と言っている。
こうやって徐々に浸食されて、夫を「お父さん」と呼びかけても平気になってしまうんだろう。
あぶない、あぶない。
呼称のアイデンティティ
もうひとつイヤだったのが、自分のことを「ママ」だの「お母さん」だの、一人称が母になってしまうことだった。
残念ながら、これにはあらがえなかった。
サトイモがペラペラおしゃべりできる言葉達者な子どもだったら、「わたし」と言い続けられたかもしれないが、サトイモはとにかく言葉が遅かったので、「私がママよ!」と主張する必要があったのだ。
最近、今井むつみの子どもがどうやって言語を獲得していくかという本を何冊か読んだのだけど、サトイモに「私」という一人称で話しかけていたら、「この人は『ワタシ』さんか」と間違われかねなかったんじゃないか。
サトイモに対して自分を「ママ」だとか「お母さん」と言うならかわいいもので、最近ではサトイモの友達たちに、
「おばちゃんがやったげようか?」
などと、自分のことをおばちゃん呼ばわりしてしまう。
どんどん崩壊するアイデンティティ。
そういえば、自分のことを「先生」と自称する教師も好きではなかった。そう言っていいのは『熱中時代』の水谷豊くらいだと思っていた。
けれど、幼児や小学校低学年を相手にしていると、先生が「私」と言っているほうが違和感を感じる。
そもそも日本人には、絶対的な個だとか、確固としたアイデンティティなんてないのかもしれないなぁ。
最近のサトイモ
サトイモは病院で継続して薬をもらっているけれど、先日の受診では、癇癪を抑えるリスパダールという薬は少し減らしてもらった。
医師は、
「無理して減らさなくてもいいんですよ」
と言う。
けれど、薬なんか飲まずに暮らせるならそのほうがいいじゃないか、と思ってしまう。
薬は少ないほうがいいというのは、私の勝手な思い込みだろうか。正解はわからない。
昨日、スイミングスクールの進級テストは無事合格。
ビート板を使ってバタ足で12.5メートル泳ぐ項目では、プール半分までで合格しているのに、止まらずにプールの端まで泳いでいき、また真ん中まで泳いで戻ってきた。
ヤル気満々。
スイミングだと「頑張ったね!」で済むけど、もしこれが学校だったら、「やりすぎ」と注意されちゃうんじゃないかな。
あ〜、やだやだ、学校って!(と勝手に想像して勝手に嫌になる私。)
家では、洗濯物を干す手伝いや、料理を頑張っている。
特に料理に関していうと、オムレツ(もどき)を作ることに凝っている。
野菜を切って油で炒め、溶いた卵を焼き、野菜と合わせてオムレツにする。
6歳で自分一人でそれをやるのでたいしたものだと思うけれど、段取りが悪いからそばで助手をやらなければならないのが大変だ。
「これから毎日、ぼくが料理作ってあげるからね」
「そんなに料理が好きなら、コックさんになったら?」
「好きだけど、コックさんになりたいわけじゃないんだよな~」
上から目線!!

「こんなにおいしい料理、食べたことある? こんなにおいしく作れるなら、やっぱり店を出したほうがいいかなぁ…」
と勝手に悩んでいた。
すごい井の中の蛙!!
幸せな子ども時代
家事をしながらラジオがわりにYouTubeで講演や対談を聴くのが、日常における私の楽しみ。
「ほぼ日の學校」もそのひとつで、糸井重里と阿川佐和子の対談で紹介されていた石井桃子さんの言葉がひどく心に残った。
子どもたちよ
子ども時代を しっかりと
たのしんでください。
おとなになってから
老人になってから
あなたを支えてくれるのは
子ども時代の「あなた」です。
サトイモが学校に行かずに(行っても5時間目にサポートルームだけ)、勉強もせず、自由気ままに過ごしているのを、「ほんとにこれでいいのかなぁ」と思いながら見守っている。
算数は得意だからやらなくても大丈夫だろう、と思っていたのに、「76+64」ができなかった。ひらがなやカタカナも定期的に書かせないとスッとでてこない。こういうときに、すごく焦る気持ちになる。
本当にヤル気になったときに取り戻せるんだろうか…。
でも、今の自由気ままで幸せな時間が、大人になったサトイモを支えてくれる、そう本気で信じている自分もいる。
やっぱり不登校児に重要なのは、「親がどれだけ勉強させたい欲を抑えることができるか」。
あ〜!!勉強させたい!!
でも我慢!!