7日ごとの法事、金融機関の手続きなどを、ちょっとずつやっている。
でも、そんなことより何より、私の悩みのタネはすべてサトイモだ。
運動会が終わってから登校渋りはほぼなくなったものの、家での癇癪やイタズラがひどくなった。
トイレを詰まらせる、いたるところにガムをくっつける、部屋やマンションの壁に落書きをする、部屋で水遊びをする、部屋で氷を投げて遊ぶ、いたるところに蜘蛛の巣のようにヒモを張りめぐらせる、ベッドを移動させて部屋のドアを開けないようにして閉じこもる、トイレの水洗タンクに自分の吐瀉物を入れる、などなど。
ベッドをドアにくっつけて部屋に閉じこもられたときは、大変困った。
一度は夜中の3時に目覚まし時計が鳴り出した。本人は一向に起きない。止めたくてもドアが開かない。
少しだけ開いた隙間から、クイックルワイパーを伸ばして目覚まし時計を叩いて、なんとか止めることができた。
また、サトイモの勉強部屋には私のクローゼットがある。勝手に閉じこもられると、私が服を着替えられない。
そんなこんなで、度々閉じこもられるとたまったもんじゃないので、夫がドアそのものを取ってしまうことにした。
ドアがないとエアコンをつけるときもったいないけれど、仕方ない。
また、冷蔵庫で自動製氷した氷を部屋の中で投げたりぶつけたりして遊ぶのも、すごく嫌なものである。
家具の下などで手が届かない場所に入ってしまった場合、氷が溶けてのまま掃除もできなくなる。
腹を立てた私は、冷蔵庫の氷を全部捨て、製氷タンクも取り外した。
毎晩、焼酎を飲むときに氷を使っていた夫はすごく嫌がったけれど、
「そのくらいの子育てリスクは負うものでしょ!自分だけ無傷で済むなんて思わないでよ!」
と私は宣言。
しかし、夫はNO ICE, NO LIFEだったようで、その夜すぐにコンビニまでロックアイスを買いに行っていた。
やめてということはやめて!
実家を片付ける準備段階として、まず必要な物は神戸に持って帰ることにした。
金品はこれまでですでに持って帰っていたけれど、ひとつ忘れていたのが父が昔に集めていた古銭アルバムだった。
昭和の一時期、父が気まぐれに集めていただけのもので、継続したコレクションではないけれど、逆に昭和中期の古銭が網羅されている。
サトイモはお金が大好きだから、見せてやったら喜ぶかなぁというのもあって持ち帰った。
ところが。
もちろんサトイモは古銭コレクションアルバムを喜んだのだけれど、その夜遅く、私たち夫婦が寝静まってからサトイモ一人起き出して、コインをすべてバラバラにし、自分のものにしてしまった。
無惨な古銭コレクションアルバムを目にして、私は思わず涙を流して嗚咽した。
「元に戻して!!これは使うためのお金じゃないの!!」
私が怒っても、泣いて頼んでも、サトイモは言うことを聞かなかった。
結局、力づくで取り戻すと、
「何するんだよ!僕のお金を返せ!」
とサトイモは大暴れ。
「これはあんたのじゃないの!じいじのお金でしょ!」
「僕にくれたんじゃないか!僕のだ!」
「違う!これは元に戻さないといけないの!勝手にこんなめちゃくちゃにして!!」
取り合いから掴み合いになり、引っ叩き合いになってもサトイモは譲らず、自分のものだと主張した。
そこへ夫が介入。
「サトイモが悪い!じいじとママに謝れ!」
それでもサトイモは謝らないし、お金を返さない。
「ええ加減にせんと叩くぞ。ええんか」
夫が最後通牒を出しても、サトイモの態度は変わらず、夫はサトイモを引っ叩いた。
バチーン!!
「何するんだよ!」
サトイモは逆ギレして、夫に歯向かっていき、夫に手を挙げる。
歯向かうサトイモに夫が再び手を挙げる。
「何しとんねん!また叩かれたいんか!」
バチーン!!
それでも再び向かっていくサトイモ。手だけではなく、足で蹴っていく。
戦闘力としては圧倒的に夫のほうが強いのだけれど、夫はサトイモがケガをしないよう手加減するのに対し、サトイモは全力で向かってくるので力が拮抗する。
「もういい加減やめて!暴力禁止!」
私が割って入り、サトイモを抱きしめてなんとかやめさせる。
まったく、サトイモの暴力に屈しない姿勢には感心する。
「ほんまサトイモはすごいな。ママやったら痛いのは怖いから、叩くぞ、って言われたら『ごめんなさい、もうしません〜!』って泣いてまうわ」
私がそういうと、
「え〜、ママだったら『ごめんなさい〜!』って泣いちゃうの〜?」
とサトイモは叩かれて赤い顔でケタケタと笑った。
もちろんサトイモだって泣いてはいるのだが。
「拷問されてもしゃべらへんのちゃう?CIAに入ってスパイになったら?」
サトイモも夫も笑った。
結局、コインについて泣き寝入りなのは私。
つくづく、サトイモは私が大事にしているものを破壊する。
憎らしい。
本当に憎らしい。
いつの時代でも、親子というものは愛し合いながら憎み合う。