奇才サトイモの元気が出る発達日記

発達障害(ADHD&ASD)の疑いがある息子サトイモの子育て日記です。

少しずつ前へ

今日は二七日で、法要のため実家へ。
数珠、仏花、住職をもてなすお茶とお菓子、お布施とお車代各五千円、それを入れる袱紗。
何を準備するか、またもや2年前のブログが役に立つ。

先週の金曜日は、役場へ死亡の手続きに行った。
役場に中学時代の親友が勤めているので、役場内にあるカフェで一緒にランチを食べた。
父の死亡手続きに行く、と考えると気が重いが、友達とランチに行く、と思うと足取りが軽くなる。本当にありがたい。

で、役場の手続き。
システムとしては依然として全くワンストップにはなっておらず、健康保険、介護保険、年金、水道利用などなど、それぞれに手続きが必要で、何度も父の名前と生年月日と住所、私の名前と生年月日と住所を書かないといけなかった。
死亡届が出ているのだから、マイナンバーで全部わかるだろうに、と思うけれど、まだまだそうなっていない。健康保険証はなくすくせに、デジタル庁がやることは順番が違うんだよなぁ…。(日本の順番:政治家のメンツ→中央官僚の都合→国民の利便性)
ただ、前回もそうだったように、役場内をたらい回しにされるわけではなく、私は同じブースにチンと座っているだけで、次々と係の人が書類を持ってきて説明してくれる。
言われたとおり書けばよいので、それほどややこしくはない。
母のときと同じ、人力のワンストップ。末端職員たちの工夫とサービス精神。日本の良いところ。

 

特筆すべきは、大きく改善されたこと。
それは、戸籍謄本がどこででも取れるようになったことだ。
驚きをもって夫にそのことを話すと、
「コンビニで取れるんやから、どこの役所でも取れるなんて当たり前ちゃうん? なんで今までできへんかったんか、不思議なくらいや」
と逆に呆れられたが、憂国の士としては、たった一つでも2年前よりデジタル化が進んだことは本当に喜ばしいことだ。


母のときは、戸籍を取るときはすべてその本籍がある市町まで行かなければならなかった。
相続手続きに必要な、この「改製原戸籍を取る」という作業がすごく負担、というのは有名な話。
しかも、生まれてから死ぬまでが必要なので、戸籍の変更が多い人はとても面倒くさい。
それが、今年からどこの役所でも取れるようになった。
多少待たされたけれど、同じ役場で、父が生まれてから死ぬまでの戸籍を全部用意してくれた。
父の子供の頃の戸籍は福岡県だし、多々良村というその村は、とっくの昔に合併でなくなっているし、自分で取り寄せていたら大変なところだった。本当に助かった。
住民票1通、戸籍謄本と改製原戸籍4通、合計4,200円。
まあまあするけど、仕方ない。

 

驚きの事実

改製原戸籍は、明治時代にさかのぼる。
私のおじいさんのおじいさんまで。
さらにそのおじいさんの父親の名前までわかる。
「由吉さんが明治初期の人ということは、父親の仁平さんはもしかしたら江戸時代かなぁ」
命のバトン、想像するとロマンを感じる。
「古い戸籍、これ筆で書いてるよねぇ!」
集まった原戸籍を見ながら夫と話をしていたら、
「そこ、なんかほかの人にはない欄が書いてあるで」
と夫が気がついた。
父の姉(私の伯母)について、追加の手書き欄があった。
追加されていたのは、伯母の実の両親。
つまり、伯母は養女なのだった。

昔、養子を取ることは、けっこう当たり前のことだったらしい。
特に子どもがいなくて家の跡取りが必要な場合は、簡単によその子どもを「もらい子」したという。
けれど、伯母は女性だから当然跡をつがせるためではないだろう。
養子縁組された日付も、父が生まれる1ヶ月前。
なぜお祖母ちゃんの妊娠中に、2歳の女の子を養子縁組したのか?
今となっては謎である。

伯母はシングルのまま60代前半で亡くなり、父が代表相続人だった。
なので、父がこのことを知らなかったはずはない。
もし、そのとき戸籍謄本を見て知ったのであれば、さぞ驚いたことだろう。
私は伯母と父はよく似た姉弟だと思っていた。
顔立ちも似ているし、痩せていて食べてもあまり太らない体質も、食事の好みも似ていた。
逆に、父とその妹はあまり似ていないから、姉ではなく妹だったら納得したかもしれない。
血の繋がりとは奇妙なものだ。

伯母が生きた時代、伯母のようにシングルの女性はあまりいなかった。
さらに、専門職や商売人ではなく、かといってパートや作業員でもなく、普通にサラリーをもらうため勤めに出ていたのも珍しかった。
父はそんな伯母のことを、自分勝手で後先を考えていない、とよく非難していた。
私が長く結婚せずに気ままに過ごしていた頃、母は、私を伯母に似ているから、と嫌味を言ったこともあった。
けれど、伯母が養女だったことを知った今、伯母が結婚しなかったのは、単に自由奔放だっただけだろうか?と疑問に思う。
本人が自分が養女だと知らなかった可能性もあるけれども。

まだ存命の父の妹に、この件について尋ねてみたい気もするけれど、「血がつなかってないから何か?」と聞かれたら、何も言えないので黙っておく。

この歳になって、知らなかったことを知ってこんなにビックリすることがあったなんて、人生何があるかわからない。

 

そうそう、2年前と進化したもう一つのこと。
それは、葬儀会館でWi-Fiが使えるようになっていたことだ。
父が死んだ日に観られなかった『虎に翼』を、葬儀の合間にNHK+で観ることができて、ありがたかった。
毎朝泣きながら観ているけれど、このときもやっぱり泣きながら観た。