母が亡くなったのは2年前の7月だった。
葬儀、相続手続きと、まだ2年前の記憶が消えないうちに2回目の経験ができたことは、ある意味ありがたい。
それでも忘れていることが多々あるので、自分のブログを読み返したりして(それで誤字脱字を発見したりして)、記録の大切さを思い知る。
母のときと違ったことの何点かを記録する。
病院のこと
母の病院では、死亡後2時間待たされたように記憶している。けれど、父の病院はわずか1時間だった。
父の病院は遺体の出発(正確には依頼した葬儀屋の遺体運搬車両の許可時刻)が早い代わり、死亡診断書を翌日に病院まで取りに行かなければならなかった。
ついでに父の荷物も翌日の引取り。
主治医が不在だったから仕方ないけれど(死んだ時刻の問題だったのかもしれないが)、たった1時間で即日発行がよいか、その日はひとまず早く出ていけたほうがよいのか…。
翌日、死亡診断書を取りに病院に行くと、サトイモの面倒を見てくれていた男性看護師に出会った。
その人はサトイモと同い年の息子がいるということで、仕事の合間、ずっとサトイモの相手になってくれた。
サトイモはそのおじさん(私からすればお兄さん)が大好きで、めちゃくちゃ懐いていたけれど、この看護師さんとは二度と会うことがないだろう。
その看護師さんが、
「サトイモくん、小さい頃のことは忘れてしまうもんやけど、おっちゃんのことは忘れてええけど、じいじのことはできるだけ覚えとってな」
と声をかけてくれた。
小さな出会いと別れ。
父と夫
母の葬儀のときは、夫はセルビアに出張中していて不在だった。
その代わり、私の傍らに父がいた。
父は喪主なので、一応、私は逐一父の意向を尋ねていた。「お父さんはどうしたい?」と。
でも、父が言うことはだいたい決まっていた。
「ええわ」「えんちゃうか」「別に」「いらんやろ」「かまへん」「じゃまくさい」「好きにせぇ」「俺はわからん」
いてもいなくても一緒、というか、逆にお荷物だった。
葬儀の手配をしないといけないのに、サトイモの保育に加えて父の介護が必要、という最悪な状況だった。
それに比べたら、今回はお荷物が少ない。サトイモの面倒は夫がみてくれる。
格段にラク。
ただ、喪主の私がすべてを引き受け、すべての責任が自分一人にある、というのは、ちょっと淋しかった。
「ほんまは喪主であるお父さんがせなあかんことやで!」
と怒りまくっていた母の葬儀が、ある意味懐かしく思えた。
夫はよく働く人なので、私の手伝いはしてくれて大変助かったけれど、主体的なものでは決してなく、いつも他人事だ。
家事は一切しない怠け者でボンクラ平社員だった父と、家でも会社でもマメによく働き、けっこう出世できている夫は、一見正反対に見える。
けれど、因習や地縁血縁に対する無関心さ、薄情さについては、とてもよく似ている。
父も夫も妹がいるのだけど、両方とも妹の結婚式を欠席した経歴の持ち主だ。
父はバイトがあるから欠席。夫は仙台赴任中で往復の旅費がかさむから欠席。
一般的な感覚なら、兄なら妹の結婚式には駆けつけると思うけど、二人共そんな一般的感覚が欠けている。
妹の結婚式に出席しないくらいなので、夫が私の父の葬儀に参列してくれただけありがたい、と思わざるをえない。
今回、一度だけ私が夫に声を荒げてしまったことがあった。
父が亡くなった翌日の夕方。夫が、
「ご飯どうする?なぁ?何回も聞いとんやで。なんで返事せえへんの!?俺らのご飯のことちゃんと考えとん!?」
と私に責めるように言った。
何回も聞かれている、というのをそのとき私は初めて知ったけれど、カチンとなって、
「考えてない!私はご飯なんて食べたくないし、どうでもいい!」
と怒鳴ってしまった。
怒鳴ってしばらくしてから、少し反省した。
夫には土地勘もなく、葬儀の段取りやスケジュールも知らず、子どもに食事を与えるのは親の責任なのに私がサトイモのことをまるで考えていなかったこと。
さぞ私は頼りなかっただろう。
でも、正直、食事のことくらい勝手にしてくれよ、とムカついた。
サトイモについても、親なんだからあなたが面倒みてよ。
「覚悟していたこととはいえ、やっぱりお父さんが死ぬことにショックを受けているから」
と言い訳した私に、夫は、
「なんで?『お父さんのことはどうでもいい、もう知らん』て言うてたやんか」
と言った。
確かに言うてたけども。
ザ・親戚関係
父の葬儀と母の葬儀の大きな違い。それは親戚関係だった。
訃報の電話連絡後、父方の親戚と母方の親戚が不仲だということを改めて思い知った。
問題がこじれる原因は、私の実家が母方の親戚と地理的に近く、過去には親しく付き合っていたことにある。
ところが、母が病気になって母が不在になると、母の兄弟たちは父と距離を置くようになった。
それは父が悪い。
実際、父は母の兄弟たちに迷惑ばかりかけていた。
タバコを吸うなというところで吸うし、酔っぱらってひっくり返り、飲み物をこぼしたり、おしっこをもらしたり…。
母の弟が、父の妹にわざわざ会いに行って、父の面倒は見きれない、もう関わり合いにならない、と絶縁宣言をしたらしい。
一方、父の妹とその息子たちは、母の弟に頭にきてしまった。
わざわざやってきて文句を言うことか!?
もう、母の弟とは顔を合わせたくないし、一緒に食事をするなんてお断り、ということだった。
父の妹とその息子たちは、告別式にも「平日だから仕事は休めない」と参列してくれなかった。(そのくせ、参列者が少ないのに会場が広すぎる、もっと小さい会場はなかったんか、と難癖をつけられた。)
母の兄弟たちは、もともと母が嫁入り先でいびられていたことを恨みに思っていた。
だからそもそも父方の親戚をよく思っていない。
母が先に死んだので父とは縁を切りたいくらいだったけれど、「仲が良かった頃は親戚で一緒に旅行に行っていたし」「知らない間柄ではないのだから」と、お通夜も告別式も、骨上げも出てくれた。
全部出席した自分たちに比べ、父方の親戚は通夜の席に出ただけで、通夜膳も食べないどころか、実の兄妹なのに告別式にも出ないなんて…。と、葬儀に参列しないことが、余計に母方の親戚たちには不評だった。
父の死によって、双方の接点はもう失われ、もう二度と顔を合わせることもないとは思う。
こんなことになったのは、一口に集約すれば、父の甲斐性がなかったんだなぁ、と思う。
今回、久々に父の妹の息子(私の従兄弟)たちに会った。
父は2年前くらいまでは、よく車に乗って叔母や従兄弟のところに遊びに行っていたらしい。
従兄弟から聞く父の思い出話も、父が駐車の際にぶつけまくったこと、おしっこをもらしてズボンがボトボトだったこと、酔ってひっくり返ったので男2人がかりで家まで送らなければならなかったこと、などなど、私が平謝りすることばかりだった。
私の知らないところでも、散々いろんな人に迷惑をかけていたわけだ。
夫がポツリと、
「お父さんは親戚中の厄介者やったんやなぁ」
とつぶやいた。

誰も泣かない
「人の価値は葬式を見たらわかる」
というのは、お姑さんの格言だ。
父の葬儀で泣いているのは私だけだった。
私が訃報の電話をかけたところで、泣いてくれたのはお世話になったヘルパーさんだけだった。
父のスマホからかけたので、
「元気になって電話してくれたんかなと期待しただけに…。また声が聞けると思ったのに、その逆やなんて…」
と泣いてくれた。
そして、
「お父さんほど穏やかで優しい利用者さんはいませんでした。ヘルパーの皆んなはお父さんのところを訪問するのがとても楽しかったんですよ」
と言ってくれた。
唯一のポジティブ発言。
父は他人との交流をほとんど持たなかったので、訃報の電話をかける連絡先がほとんどなかった。
父には3人友人がいたが、80歳を超えてからは交流がなく、電話をするのがためらわれた。
向こうのほうが先に亡くなっている可能性があるからだ。
一人だけ、元同僚で釣り仲間に電話をかけてみたが、出なかったのであきらめた。
あとは、父とも交流があった母の友人たち。
母の友人かつ父の元同僚だった人に電話をかけてみた。
すると、その人を含め、母の親友2人が通夜の1時間前にお参りに来てくれた。
棺桶に入っている父を見て、
「若い頃から男前やったけど、死んでからもシュッとして男前やな」
というので、笑ってしまった。
「あんたな、私がおらんかったら、あんたは生まれてへんのよ。たかちゃんは彼氏がおらんし、波野さんも彼女おらんいうし、ちょうどええなぁ思て、私が紹介したんやで」
「新婚の家にお邪魔して、晩御飯よばれたことがあってな。あんたのお母さんはお料理が上手で、これは波野さん、ええ嫁さんもうたなぁ、思たわ」
ところが、父の思い出話は、新婚の頃の話題で終わる。
母の友達なので、当然話の中心は母のことになっていった。
私も母の話をしてくれるのはありがたいし、聞きたいけれど、父の通夜なんだけれどもなぁ、と少し苦笑い。
おばちゃんたちが帰っていったあと、様子を見ていた夫が感想をもらした。
「わざわざ来てくれて申し訳ないなぁと思ったけど、あのおばあちゃんたちは、葬式で同窓会やってるだけなんやな」
そう考えてみると、私の地元の友人で連絡をくれた人たちがいた。
私も遠慮せず、自分の友達に来てもらえばよかったな、と後悔した。
葬儀会館の無料のコーヒーで同窓会ができたのに。