木曜日、父の病院から電話がかかってきて、意識レベルが下がっているためできれば今日会いに来てください、とのことだった。
サトイモの帰宅を待って、一緒に姫路へ行く。
持って行く荷物はママが決める、余計な物は持っていかない!と強く言ったのに、サトイモはやはり問題集一式と文房具、折り紙、色鉛筆等をスポーツバッグとトートバッグに詰め込んだ。
重いからやめなさい、といくら言っても聞かないから諦める。
そのかわり、絶対に自分で持つように!ママは絶対に持ちません!と断言。
実際、私はサトイモの荷物を持ってやることはせず、サトイモはめちゃくちゃ重い荷物を持って歩いたけれど、
「まだ〜!?いつつくの〜!?あと何分!?タクシー乗ろうよ〜!もう歩けないよ〜!」
とグズグズ言うので鬱陶しいことといったら。
病院に行ってみると、確かに父は苦しそうに息をしていて、呼びかけてもわかっているのかどうかわからない様子。
「お父さん、お父さん」
と呼ぶと、うっすら目を開けるけれど、どこを見ているのかわからないかんじ。
こういうとき何をすればよいのやら。
手を触ると、とても冷たくてひどくむくんでいた。
父の手といえば、ガリガリで手の甲に血管が浮き出ていてシワだらけ、という印象があったので、プクプクでツルツルなのが奇妙だった。
そのうえ、手をグーにして握っていたせいか、手のひらからボロボロと垢が出る。
仕方ないので、手のひらをお尻拭きシートで丹念に拭く。
拭けば拭くほどボロボロ出てくる。
大判のお尻拭きシートなのに、何枚も使って両方の手をきれいにした。
できることはもうこれくらい。
その間、サトイモは何をしていたかというと、1階の待合室で持ってきた宿題をしたり、幼児教室の問題集を解いていた。
以前に来たときもそこで勉強をしていて、優しい男性の看護師さんがパソコン仕事をしながら横で相手になってくれていた。
サトイモが言うには、その人のお子さんも同じ小学1年生なのだという。
すっかり懐いて、「あの人にもう一度会いたいなぁ」と言っていたので、また会えたのをとても喜んでいた。
加えて、最初に入院したときにお世話になった地域連携担当のスタッフさんが会いに来てくれた。
その方は退職されるとのことで、その日が最終日。わざわざ私に挨拶しに来てくれた。
ご自身も高齢出産だったとのことで、私のことを気にかけてくれていたのだ。
サトイモにチョコレートをくれたので、サトイモは代わりに折り紙でハートを折ってプレゼントした。
決戦は金曜日
看護師さんたちに、今日明日ということはありますか?と尋ねると、そればかりは何とも言えない、と前置きしつつ、点滴が入らない、尿が少ないことから、すぐに連絡が取れるようにしておいてくださいと言う。
万が一に備えて、木曜日はサトイモと二人で実家に泊まり、サトイモは金曜日の学校を休んだ。
金曜日、父の様子を見に行くと、目も開いているし、呼びかけると一応返事をする。
これなら今日死ぬってことはないかな、と金曜日の夕方、神戸に戻った。
今日どころか、月曜日くらいまで生きてるかもね〜、なんて言いながら。
「お父さん、土曜日の朝、また会いに来るからね!」
と伝えて。
父は、うん、と頷いたと思う。
そして、夜。
私がお風呂からちょうど上がってきたとき、電話が鳴った。
夫の車で神戸から姫路の病院まで。
約1時間半くらいかかっただろうか。
到着したら、すでに父は旅立っていた。
病院の医師は、私たちを待っていたようで、到着後の時間を死亡時刻とした。
23時43分。
それがいつ来るのか、待っているのはつらかった。
だから、一区切りついて、まあまあ。
今もバタバタ。
取り急ぎ、ご報告まで。