コロナ禍以降、夫が口癖のように「マイルを使わなヤバい」と言っていた。
飛行機での出張が多く、マイルを相当貯め込んでいたのが、コロナ禍以降の自粛で旅行には使えなくなったせいだ。
期限が迫っては少しずつ何かに交換していたようだが、この3月、またたくさんのマイルの有効期限が迫ったらしい。
「今年こそ坊主を飛行機に乗せてやりたい」
自粛ムードが解禁されている今月、夫が旅行を計画してくれた。
行き先は、石垣島。
飛行機もホテルもレンタカーも、全部夫が手配してくれた。
私とサトイモはついて行くのみ。
「楽しみや〜」
と夫はワクワク。
「石垣島で何する?何食べたい?どこ行くか決めた?」
そう尋ねられても、私はなんとなく不安のほうが大きくて、積極的に満喫する気分になれなかった。
不安の足枷
だいたい、出発前日まで、フライト情報もどんなホテルに泊まるかも、伝えられてなかった。
石垣島に行くという以外の情報がないのだから、旅行に出かける現実感が乏しくて、全くイメージができない。
そもそも、石垣島が沖縄県という以外の情報もなく、海がキレイなことくらいしかわからない。
不安な気分になるのには、二つ理由がある。
一つは、旅行中サトイモがちゃんと親の言うことをきけるかということ。
飛行機の中で騒がれたり、見知らぬ土地で迷子になったりしたらどうしよう。
親の心配はよそに、サトイモは旅行に行くことを大変楽しみにしていた。
平日に休みをとっていくので、できれば幼稚園には内緒にしていたかったのに、サトイモは幼稚園で旅行に行くことを友達や先生に言いふらしまくった。
とがめられるかと思いきや、園長先生などから、
「ええなぁ。帰ってきたら先生に旅行の話きかせてな」
と温かく送り出された。
発達支援教室でも同様で、
「飛行機では大人しくしとかないといけないよ、騒いだら飛行機から落とされちゃうかもよ、って釘をさしときました」
と先生が助け舟を出してくれた。
ただ、サトイモの情報は、「パパとママと旅行に行く」「飛行機に乗る」「海に行く」という3点のみで、
「で、どこにいくの?」
と聞かれても、
「それはわからない」
というマヌケっぷりだった。
もう一つの心配は、私の仕事である。
ただでさえ忙しい1月、ただでさえ時短をとって休みまくっている私が、遊びのために休みをとって、業務が回るのか。
給与支給担当として、人件費予算の作成と、国税と地方税の申告が1月末に控えていて、休まなかったとしてもギリギリの自転車操業。
そのうえ、休みをとる直前になって、ボーナス支給の処理で大チョンボをしていることが判明。
口が裂けても、サトイモのように「旅行に行く」なんて言える雰囲気ではなく、トラブルを抱えたまま逃げ出すように出発することになった。
つつがなさすぎる石垣島
ところが、いざ旅行に行ってみると、サトイモは比較的大人しく、手が付けられないようなトラブルはなかった。
問題といえば、サトイモが裸で海水浴をしたことくらいだが、想定の範疇だ。
気温は24度。
冬の海なので、足をつける程度で遊ぼうと思っていたが、我慢できないサトイモはズボンのまま海に入った。
着替えも持ってきているしそれでよかったのだけど、濡れたズボンとパンツが気持ち悪いといって、脱いで全裸に。
夫はちゃっかり水着を持参していたので、2人で1月の海で泳いでいた。
私が海に入るのはひざまでとめておいて、あとは見学。
石垣島の海は本当に美しくて、絵葉書のようで、逆に現実感がないように思えた。
あとから振り返って写真を見ると、幸せ家族旅行すぎる写真で、かえって恐ろしくなる。
これが映画やドラマだったら、誰かが死んだり、病気になったりしたあと、
「このときは幸せだった」
と回想のために使われるやつだ。
「このあと、転落人生が待っていました…」
とか、いやもう、かんべんしてほしい。
旅行のハイライトは、川平湾や底地(すくじ)ビーチ、ニモやドリーやウミガメを見ることができたグラスボート、といった美しい海。
だけれど、私はそれよりも、八重山の文化の独特さに魅了された。
沖縄本島とは違う八重山独特の方言(みーふぁいゆー=ありがとう、おーりとーり=いらっしゃいませ)、特徴的なお墓(小さな家のように大きい)、地元商店で売っている見慣れない食材やお菓子(ポコットパイン、ナムワバナナのようなフルーツ、ピパーチという謎のスパイス、カーサームーチーというお餅、玄米ドリンクなどなど)、きいたことのない種類の魚の料理(グルクン、ミーバイなど)。
飲食店のポスターや雑誌でときどき見かける「きいやま商店」というご当地バンドのことも初めて知った。
正直、美しい海は映像でも美しい。
でも、人の生活が見える部分のほうが、知らない土地に来た!という感じがする。
知識ゼロでやってきた石垣島のことをちょっとずつ知り、帰り際になって大好きになって、Spotifyできいやま商店をヘビロテしながら帰路についたのだった。
おうちに帰るまでが旅行です
ところが、神戸空港から三宮駅に着いて、見慣れた街になったら突然、
「あるけない~!だっこして~!」
と座り込みにでた。
ポカリスエットを飲ませろとダダをこね、飲んだら飲んだで、空きボトルを捨てる前に「ママが最後の一口を飲んだ」と言っては怒ってボトルを投げ、大泣きした。(だって少しだけ残ってたんだもん)
そういえば、母の葬儀が終わって、元町に戻ってきたときもこうだった。
こっちもヘトヘトで大荷物を抱えているのに、抱っこを強要され、大泣きされて道路にひっくり返られた。
葬儀中はおりこうさんだったのに。
家まであとちょっと、というところでこれだ。
そういえば、最近、幼稚園の先生から、
「音楽会の練習はちゃんと参加できています。ただ、最初曲を覚えるまでは真面目にしていたのに、最近慣れてきてから、違う楽器をさわってみたり自分の好きな曲を歌ってみたり、だんだん勝手をはじめてます」
と言われた。
どうやら、緊張しているうちはおりこうさんにできるけれど、緊張が切れるとダメらしい。
「おうちに帰るまでが旅行ですよ!」
夫に抱っこされたサトイモを私は叱りつけるけれど、弛緩モードのサトイモには届かない。
通級指導教室では、先生からこんなアドバイスをもらった。
教室の終了後、イスや机の上に登ってジャンプしまわるサトイモに、私が目くじらを立てて怒っていたら、先生が、
「教室では百点満点でしたよ。終わってから走り回っているのは、ホッとしている証拠。ホッとしている瞬間まで怒っていたら、息が詰まってしまいますよ。それくらい許してあげましょう。少なくとも時間内は頑張ったんですから」
と言ってくれた。
神戸に帰ってきたら、ワガママが出るのは許すしかないのか。
私としては、「南(ぱい)ぬ島」の幻想から覚めて、一気に現実に戻った瞬間だった。