今年は喪中のため、年賀状もおせちもないお正月だった。
「明けましておめでとう」という挨拶が使えないのは、NGワードを使えないゲームのよう。
唯一したお正月らしいことといえば、サトイモとカルタや双六(サトイモはスボロクと言う)、凧上げやコマ回しで遊んだこと。
「サトイモがおるおかげで、何十年ぶりにこういう遊びができた」
とは、夫の談。
私も同じ気持ちで、子どもに返った気分。
お正月遊びの中で、サトイモは特にスボロクが気に入り、毎日毎日、何回もやらされた。
救いはサイコロを2つ使うこと。
すぐゴールできるし、足し算の勉強になる。
そう思って私も嫌がらずに参加していたものの、さすがに毎日となると飽き飽きした。
そう書くと楽しいお正月のようだが、年末からまた風邪を引いてしまって、ずっと喉の痛みを抱えて過ごしていた。
不調のピークが、よりにもよってお姑さんの家で泊まる元旦。
喉の炎症で声が枯れて、しわがれ声しか出ない。
最近は風邪を引くと、すぐに声が出なくなる。
不意討ち攻撃
そんな中、夫とサトイモがお風呂に入っているときにお姑さんから、
「あの子の自閉症はどないなってんの?」
といきなり尋ねられた。
「ASDかADHDか、なんらかの発達障害はあるだろうとは思いますけど、まだ診断を受けたわけではないので…」
かすれる声で答える私。
なかなかズバズバとは回答ができない。
「なんで診断受けへんの」
「私もいろんなところで相談はするんですが、まだ診断を受けなくてもよいと言われるんです。幼児のうちはまだ発達途中ですし、誤診されても嫌なんで、もうちょっと経ってから」
「そんなん、うちだいぶ前から、あの子が自閉症なん知っとったで。名前を呼んでも振り向かへんとき、あれ?おかしいなと思ったんや」
発達支援教室に行き始めたとき、私がお姑さんにどう説明するか夫に相談すると、夫は、
「ややこしいから言わんでええ」
と言った。
「言うたらまた面倒くさいことになる」
しかし、隠しきれるものではなく、結局こうやって詰問されるわけで、時間の経過がある分、さらに説明が厄介になっていた。
「男の子の友達と遊べるんか」
「普通の小学校に行けるんか」
と、ここまではまあ、心配するのはわかる。
しかし、お姑さんの心配は将来に及び、
「結婚もできんまま、あんたらが先に死んだら、あの子は一人ぼっちで生きて行くことになるんやで。自閉症の子はまともな人付き合いもできへんし、結婚もできひんやろうから」
という、ものすごい偏見に基づいた意見が展開された。
もともとペラペラと弁舌が立つわけではないうえに、声が出にくいから、お姑さんの攻撃に余計にうまく返答できない。
加えて、「結婚できない人=不幸」と決めてかかる価値観が私のドツボに入った。
「そういう親の価値観を子どもに押し付けるべきではないと思います」
結婚してまで、「親」と結婚観についての議論をするとは思わなかった。
話が結婚すべきかどうかについてそれて、一体何を言い争っているのか、さっぱりわからなくなった。
そのうち、サトイモがお風呂から上がってきて、話は中断。その場は助かった。
リカバリ失敗
お正月が過ぎてからも、私の心の中では、お姑さんにうまく説明できなかったことが沈殿していて、重い気分になっていた。
それで、時間があるときに、補足説明のラインメッセージを送った。
こんな内容だ。
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サトイモの発達障害について、言葉足らずだったので、長文になりますが、説明させてください。
まず、病院で受ける発達障害診断について説明します。
診断には、WISC-Ⅳという検査を受けます。
検査で発達障害の診断を受けたら、それに基づいて、児童発達支援教室や通級指導教室に通います。
区役所で受給者証を発行してもらうと、無料で通えます。
ご存知のように、発達障害は脳の特性なので、治すことはできません。
適切な指導のもとに、本人の社会性等のスキルを上げていき、親も指導を受けるのが今の対応です。
なぜ病院で診断を受けなくてもよい、と言われているかというと、
1.すでに児童発達支援教室と通級指導教室に通っている
2.すでに受給者証を交付してもらっている
3.すでにWISC検査を受けている
4.サトイモの特性について、幼稚園の先生も各教室と連携して情報共有してもらっている
5.小学校についても、通級指導教室→神戸市教育委員会を通じて情報共有できる(配慮してもらえる)
以上の点から、各先生方からは急いで診断を受ける必要はない、と言われています。
私もいずれは診断を受けさせようと思っていますが、WISC診断を受けたのは今年の春だったので、間をおいたほうがいいと思っています。
お義母さんにはご心配をおかけしますが、できるかぎりのことをやっています。
日本の教育がサトイモに合わないなら、海外の教育を受けることも視野に入れています。
教育や支援によって、発達障害児はすばらしい才能が開花する可能性を秘めています。
どうか温かい目で見守ってやってください。
よろしくお願いいたします。
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これに対して、お姑さんからの返信はなかった。
余計に気持ちが凹む。
夫に相談すると、
「オカンは長文メール一番嫌がるで。そら返信ないやろな」
と言う。
溝を埋めるつもりが、溝を掘る結果になってしまったかもしれない。
表現者の第一歩
いつだったか画家の千住博が、自身の半生を振り返るインタビューでこんなことを語っていた。
両親に画家になると宣言したとき、反対された。
そのときに母親から、「他人に自分の作品を表現で伝えるのが表現者でしょう。まずは自分の親を表現で説得できなくて、どうして他人の心を動かすことができるだろうか」というようなことを言われたそうだ。(うろ覚えなので、ニュアンスはかなり違うかも。ごめんなさい。)
親にやりたいことを理解してもらえない、というのはよくある話。
それで疎遠になったり断絶したりするアーティスト志望の人は多いはず。
でも、一番近しい人でさえ説得できないようで、他人の心を動かせるはずがないというのは本当にそのとおり。
発達障害児にとって、一番大切なことは周囲の理解を得ることだ。
一番身近な近親者に理解してもらえないで、どうして世間様の理解を得られることができるだろうか。
理屈ではそう思うものの、乗り越えるべき壁は高くて厚い。